KORANIKATARU

子らに語る時々日記

いろいろたいへんだったからこそ

春に帰省した際、二男もこのプールで泳いでいた。

 

その昔、兄弟揃って浜学園に通っていたから、西宮北口は息子たちにとっても馴染みの場所である。

 

水の中に入ると時の遠近感が薄れ、過去がぐっと近くなる。

二男も昔を懐かしみ、泳ぐことの心地よさにひたっていたことだろう。

 

中学受験もたいへんだったし、大学受験もたいへんだった。

それらをくぐり抜け、東京で暮らす身になって訪れる西北は異なったアングルで見え、思い出の風合いもひと味違ったものになるに違いない。

 

二男の胸中について思い巡らせつつたっぷり泳いで、寝風呂でくつろぎ、マッサージチェアに寝そべった。

 

一週間頑張った背が揉まれ叩かれ、そのいたわりのなかに身を預けていると長男から電話がかかってきた。

夢見心地のまま息子と話す。

 

週が明ければ下北沢を離れ本郷に移る。

引っ越しの日は西大和時代の友人が付き添ってくれるという。

 

親としてこんな嬉しい話はない。

 

下北沢近辺にも西大和の友だちがいたが本郷近辺も同様。

高校を卒業してからも多彩な顔ぶれとの付き合いがしっかりと継続している。

 

超絶優秀な者らが息子の友だちでいてくれて、ここ一番で手を貸してくれる。

その図を思い浮かべると心強くてその喜びで夢見心地の濃度は更に高まった。

 

まもなく家内とジムを後にし、西宮阪急で買い物してから帰宅した。

風呂も済ませているから、あとは飲むだけ。

 

京都亮昌の餃子、魚道楽で買ったゲソ焼き、はも照焼き、あじフライ、鯖の塩焼き、カレイの西京焼きをあてにして、スパークリングを開けた。

 

そして意外な脇役がこの夜の宴で気を吐いた。

松田のマヨネーズによってゲソ焼きは世界最高レベルの美味となり、あじフライもヘルメスソース以上にそのマヨネーズによって味が引き立った。

だからこの日を境に松田のマヨネーズはうちの食卓にて不動の位置を占めることになった。

 

お酒を注ぎ合いながら話す話題は息子たちのこと。

いろいろたいへんだったからこそ得るものが多かった。

おかげで、わたしたちには話して飽きない濃厚な思い出が残り、息子たちは強く優しく逞しくなっておまけに素晴らしい仲間たちに恵まれた。

 

楽ではなかったが、後で実るものが桁違いなのだと、夫婦で同じ話を何度も繰り返し感慨にふけり、それでボトルが二本空いた。

ここ最近、街で出くわした炭水化物たち