街全体が閑散として見えた。
お茶を飲もうにも喫茶店はその一軒のみであったから、他に選択の余地はなかった。
民家の玄関先を広くしたような、味も素っ気もない土間みたいな場所でコーヒーを飲み、それがとても薄味だったから目に映る世界とシンクロしているように思えた。
さっきまで目にしていたゴッホの色彩世界があまりに濃厚に過ぎたのかもしれなかった。
どう背伸びしたところで、凡人が捉えることのできる世界はこのように平板なものなのだった。
東所沢から秋津、続いて所沢を経由し西武新宿線にて高田馬場に向かった。
田無、上石神井、鷺ノ宮といった駅に停車し、都立家政や野方や新井薬師といった駅を通過し、わたしは望郷の念にひたった。
野方で暮らしていたのは30年以上も前のことになる。
わたしにとって当時は、ただひたすらに青く未熟な時代だった。
ほぼ全ての記憶に若気の至りがまぶされて、小っ恥ずかしいにもほどがあるといった話であるが、今となってはそんなすべてが懐かしい。
高田馬場で降り、家内を先導して歩いて早大正門行きのバスに乗った。
早稲田通りをバスにゆられ、一年半ぶりの再訪を家内は懐かしみ、わたしは自身の青い残像を懐かしんだ。
ちょうど六時限目の授業が行われている頃合い。
すでに日は暮れ、小洒落た屋外灯に照らされた薄明かりのなか学内を家内とぶらついた。
ゴッホの手にかかればこの景色はどんな光をもって描かれるのだろう。
夫婦で様々想像するから次第に光が満ちて感じられ、この学内のどこかで二男がいま講義を受けているということがとても幸福なことに思えた。
授業の終わる19時45分まで待とうとも思うが、19時にはカフェが閉まってすることもなく、先に神楽坂に向かうことにした。
東西線の駅をあがって神楽坂通りを歩く。
要はここも早稲田通りなのであって、さっきの場所と一本でつながっている。
学生時代は連れ立ってはっちゃけて早稲田で遊び、大人になれば情緒あって落ち着いた雰囲気の神楽坂で遊ぶ。
そんな棲み分けが自ずとなされているのではないだろうか。
五十代の夫婦は路地まで隈なく歩いて神楽坂に実にしっくりくるものを感じた。
息子らとの食事を終え飯田橋で解散し、わたしたちは三井ガーデンホテル神宮外苑に向かった。
一泊目は新宿側、二泊目は赤坂側の部屋をとっていた。
部屋の眺望がよく、大浴場があって旅の疲れが癒される。
前回は就職活動も山場の折り、長男が試合で骨折したときにこのホテルを利用した。
いろいろな場所にいろいろな思い出が詰まっている。