快晴の土曜日、事務所で仕事していると職員が現れた。
不思議なもので一人より二人。
彼も仕事しているのだと思うと、わたしも仕事に身が入った。
この日、家内は料理教室に出かけ仲間と一緒に食事するとのことだったので、「仕事が片付いたらこのあと、どう?」と職員を誘ってみた。
予定があるとのことだった。
午後2時過ぎに彼が引き上げ、わたしは夕刻になって目処がついた。
引き続き晴れ渡る空のもと谷町筋を北に向いて歩き、結局、天満橋までたどりついた。
そこらで腰を落ち着け、ひとり早めの時間から飲むことにした。
最初に入った店をビール一杯で切り上げ、目と鼻の先にある別の場所に移動した。
前夜の家内の話を思い出しつつ、静かに飲んだ。
息子らはやんちゃだった。
その盛りの頃、その活発さを肯定的に見てくれる人がいる一方、彼らの過剰なエネルギーは時に白眼視の対象となった。
家内を当てこすった人物は、当然、うちの息子らのことも当てこすった。
どんな育て方をしているのか。
病院に連れて行った方がいい。
もちろんその夫の態度も冷淡で狭量なものだった。
息子らが無邪気に話しかけても当たり前のように無視し、彼らの存在が不快きわまりないのか、聞こえよがしに何かに当たり散らすなどして威圧した。
だから息子らはその小人物が大嫌いで、一度など深夜に逃げ帰ってきたこともあった。
家内からすればいたたまれないような話だった。
しかし、置物のようにじっとしているのがお利口でそれが絶賛される世界では、うちの息子らは蛮人の子とでも言うしかなく、家内は心苦しさを呑み込むしかなかった。
結局、屋内ではなく屋外で解き放ち、好きなだけ走り回らせ、結果、兄弟で虫を追いかけ、それがいつしかサッカーボールになり、やがてラグビーボールに行き着いた。
そこでようやく過剰が体よくひとつの形に着地した。
家内からすれば文字通り骨の折れる子育てであった。
しかし一貫して息子らの長所に着眼し揺らがず、全力で息子らをネガティブな評価から守り抜いた。
もし万一、置物派の言葉に耳を貸し、一緒になって息子らを責め立てていたら、奔放さが失われ彼らはほんとうに置物のようになったかもしれず、もしそうであれば、なんとつまらない話だろう。
幸いなことに二人揃って引き続き活発。
様々なことに挑んで取り組み、もたらされるエピソードが実に楽しい。
もちろん、もう誰にも眉を顰められるようなことはない。