業務の最終地点は吹田だった。
仕事先へと向かう途中、家内に電話を掛けた。
いま京都。
家内はそう言った。
なぜなら、かくかくしかじか。
家内が天満でヨガのレッスンを終えたとき、京都伊勢丹から電話があった。
かねてから念願していた品がお目見えしたとのことだった。
家内は行動派。
迷うことなくその足で京都に向かった。
目的の品を手に入れて晴れがましくも賑やかな家内の声を聞きつつ、仕事後、京都と吹田の中間地点である高槻で待ち合わせることにした。
業務を終え、JRに乗って15分ほどで高槻に着いた。
改札で待つ家内と合流し、タイ料理を食べようと意見が一致し、このほど移転したばかりの熱風食堂に向かった。
桜が散ってものがなしい。
景気づけには辛い料理だろう。
すべての注文に「大辛で」との言葉を添えた。
ひーひーふーふー言いつつ食べれば楽しい。
頼む品数は増えお酒も進んだ。
夕飯を終えたとき、時刻は午後9時を過ぎていた。
閑散としはじめた高槻の飲み屋街を抜け、駅へと歩く。
前を行く母子に目がとまった。
塾を終えた男子と迎えに来た母が肩を寄せ合うようにして歩き、そんな光景が懐かしい。
で、案の定、家内のなかで時間が巻き戻り、息子らを塾で迎えたときの記憶がありありとよみがえることになった。
家内は言った。
当時は子の世話で手一杯だった。
食事を作り送り迎えして時間が過ぎ、着飾ったり遊び歩いたりといった楽しみとは縁遠かった。
振り返ればたいへんな毎日だったが、ここが勝負と思って無我夢中だった。
確かに家内は息子らの横を付きっきりで伴走していたようなものだった。
だから、眼前に並んで歩く母子の姿を見れば、それが自身の姿に重なって、少し涙ぐんだりするのも無理はなかった。
家内は実によく頑張った。
先行きどうなるのかまったく見通せない時期があり、それでも明るく元気に希望を見据え、脇目も振らずせっせと家庭の基礎工事に励んできた。
そんな日々を積み重ねてきたからこそ、万事順調とも言える今がある。
夜風はやわらかく暖かで、冬の装いはもはや不要と感じられた。
陽気のもと汗ばむような季節が到来し、まもなく長い長い夏がやってくる。
タイ料理の辛味も相まって活気十分。
一足先、夫婦揃って内には夏がみなぎった。