KORANIKATARU

子らに語る時々日記

何とかしなければならないのは自分

4月も下旬に差し掛かり、前方をみればGWが間近に迫る。


だからだろう。

忙しい。


前日も業務に追われ、この日も同様。


早朝から午前中にかけて書類を整え、午後からは外に出た。

訪問と訪問の予定の間に電話業務がちょこちょこと入って、余白の時間幅がみるみる縮まり、まさに「分刻み」で動く状態に陥った。


途中、明日の業務に必要な書類を事務所で受け取る用事も挟まって、切羽詰まって市中を駆け回り、いつしか足は棒のようになった。


あともうひと頑張り。

自身を励まし、谷町四丁目から電車に乗って本町までは二駅だったが、幸運にも席が空いていたから、腰掛けた。


ああ、このままずっと座って過ごしたい。

そう思うが、電車はいつも同様本町に到着し、ドアが開いた。

本町が手招きしている。

負けるわけにはいかない。


最終ラウンドに臨むボクサーみたいに、わたしは立ち上がって最後の業務に挑みかかった。


どんな忙しい日でもやがては落ち着く。

まもなく日が暮れ、そんな時間帯になってようやく安らぎが訪れた。


携帯を見ると家内からメッセージが届いていた。

ヘッドマッサを受けた後、ホテルで一杯やり始め家内は幸福のなかにいた。


家族が平穏であれば何より。

 

その昔、いろいろと大変だったときのこと。

どこかの飲み屋で誰かが誰かに向け発した言葉が身に沁みた。


なんとかするのが男だろう。


いまなら前時代的な言葉と捉えられ、口にするのは憚られる。

だからずっと内に秘めて自身に言い聞かせてきた。


何であれ何とかしなければならないのはわたしに他ならず、繰り返しになるが、そのためまずは自分が何とかする他ないのだった。


新自由主義に由来する自己責任論は、おっかぶせられたら救いはないが、自らまとえば効果はてきめんとなる。

2022年4月19日 渋谷ワンダーケバブ 息子への差し入れ