活性の度合いが、母と子で驚くほど似通っている。
子らが大きくなって、つくづくそう感じる。
例えばこの日。
家内は午前中にヨガに出かけ、本町あたりで食材を買い求め、帰宅した。
洗濯やら掃除など、あれこれ家事に勤しみ、張り切り過ぎたせいかカラダにだるさが残ってしまった。
持ち越してはならない。
そう考えて夕刻、食事の支度を終えてから、駅前のマッサージ屋に連絡し一番の名人を指名した。
ノンアルのビールを飲みつつ、家内が用意してくれた夕飯を食べているとまもなく家内が帰宅した。
ああ、楽になったと言って、何をするかというと掃除の続きにかかり始めたから、びっくりしてわたしは止めた。
せっかくマッサージを受けたのだから後はゆっくり風呂にでもつかって休むべきだろう。
もし放っておけば、とことん掃除に邁進し続けたに違いない。
で、思ったのだった。
東京にて忙しく暮らす息子二人も、同様。
のんびりぼんやりといった様子の二人にお目にかかったことがない。
母の活性がそのまま息子に受け継がれたということである。
子らと一緒に過ごす時間は、わたしよりはるかに家内の方が長く、だからそうなるのも頷ける。
言葉を付け足せば、「隙あらば前へと進む」活性と言えるだろうか。
母に似て、かつそれぞれが取り組んだラグビーやフィールドホッケーにおいてその特性が身体化され強化された。
だから、試合中の選手みたいに隙あらば前へ前へと進んで、わたしなどとうの昔に置いてけぼりにされているというのが真相だろう。
そしてこれはとても喜ばしいことである。
脇目も振らず家内の力が前へ前へと結集された場所、それがこの家庭であり、それがあってこその息子たちなのだと、この日の家内の動きをみて、わたしは深く深く納得した。