生きることは結構苦しい。
そんな時代は過ぎ去って、苦もなくさほど楽でもなく、つまりそこそこ楽しい日々を過ごせているように思う。
しかし、仕事という真剣勝負においては、時にあれやこれやと懸念されることが浮かんでは消えずに居座って、神経を摩耗するということが起こり得る。
心地良い状態とは言えず、崖っぷちの深淵を覗き込み、想像上の責苦に苛まれて身悶える。
もちろん、そんな崖っぷちは原始の恐怖体験に由来する、大げさな虚妄であると頭では分かっている。
そこに投げ込まれたとしても足が届く程度の浅さであって、また戻れば済む話に違いない。
が、そう言い聞かせてもそんな言葉が芯の芯まで届くことはなく、心は先回りして底なしの深淵の奥へ奥へと引き込まれていくのであった。
月曜の午前、このように消耗し続け、あと一歩というところ。
足元まで迫っていた深淵が姿を消した。
ああ、やれやれ。
長く続く嘆息とともに人の情けに感謝して、もうこんなことがあってはならぬと皆に注意を喚起して気を引き締めた。
まもなく、事務所の用事で外出していた家内が戻ってきた。
千円以上食べると駐車場代がタダになる。
それで、かっぱ寿司を5皿も食べた。
それが帰還の第一声で、家内はいつだって明るく楽しく、事務所の雰囲気がそれで和んだ。
午後いっぱい業務して夕刻。
家内の運転で事務所を後にした。
このところ行きつけとなっている漢方薬の店に立ち寄って、わたしはクルマの番をして思う。
いつもと同じ。
そう思えてしかし、景色は徐々にゆっくり移り変わっていく。
漢方など40代までまったく必要としなかった。
心は若い頃のまま、体はしっかり時の流れと足並みを揃えているのだった。
どこかで食べて帰ろう。
家内はそう言うが、この日わたしはノンアルの日であったから、家で食べようと促した。
買い置きしてあった京都サカイの冷麺を手際よく家内が茹でて具材を準備し、わたしはサカイオリジナルのスープを加え、家内はポン酢とごま油で味付けして、二人で分けて食べ比べた。
言うまでもなく、美味しかったのは後者の方であった。