奈良を出た大和路快速が王寺駅に停車した。
ここを起点に夜の車窓の向こう、思い出が並走し始めた。
大阪駅で神戸線に乗り換え、つくづく思った。
結構、たいへんな通学距離である。
文句も言わず6年も通った息子の胸中が察せられた。
あるときのこと、息子が言った。
アメリカでホームステイしたときに気付いた。
自分であっていい。
彼の地ではそれが許され尊重された。
自分を削ぐことなく、押し殺すことなく、自分であっていい。
15歳の少年にとってこの実感は生き方を見直す鮮烈な啓示として作用した。
秋にアメリカから帰国し、冬に訪れたカナダでも同様だった。
個を尊重する。
そんな成熟した人間観がその地には根付いていた。
自分であっていい。
ゲルフでの三ヶ月の滞在を経てそれは彼の信念になった。
今回の就職活動を通じ、同種の心地よさを覚える会社があった。
個を大事にする雰囲気が随所にあふれていて、だから思った。
ここをホームにすれば、自分の出力が最大化される。
息子の通学路を夫婦でたどって、彼が「自分に出会った」過程の必然に心底納得がいった。