KORANIKATARU

子らに語る時々日記

なまりなつかし停車場のようなもの

家内がヘッドスパに行くというので、わたしは食べて帰ることにした。

堺からの帰り道、天王寺で途中下車して適当に飲み屋を選んだ。

 

平日をノンアルで過ごしたから、体調万全。

ビールが美味い。

 

長男から引越し後の状況を知らせるラインが届く。

壁に設置したテレビがなかなかいい。

 

階下に住む大家さんにも挨拶を済ませたという。

慶應だと言うと、大家さんは早稲田だと言った。

 

早稲田政経を出て日本を代表する企業に勤め、いまやかなりの地位にある。

息子が来春就職する商社にもゼミの仲間が何人もいるというから、これも一つの縁だろう。

 

父も早稲田で弟も早稲田です、と息子は言って、会話は親しみの度を増した。

早慶は兄弟みたいなものである。

だから、階下であるといった以上に一気に距離が縮まった。

 

息子とのやりとりが楽しいからビールが美味い。

いろいろな人との距離が縮まる。

そういう意味で早慶は実にいい。

 

東京で暮らし大学に通い、長男も二男も多くの縁に恵まれた。

これが卒後、更に恵まれることになるから、ああこの大学で良かったと実感することは間違いない。

 

で、思った。

大学を通じて得られる愛着もかなりのものだが、中高で得られる愛着は更に深い。

なぜだろう。

 

わたしたちが停車場で出発を待つ列車だとして、中一の段階では列車にはなったものの全く未整備で、徐々に整備されて高三に至る。

 

高三と中一では、実際の中身は中二のままだとしても、大人と子どもくらいに差があって、そのプロセスを同じくすれば、やはり他人とは言えない共感が生じるのだろう。

 

卒業と同時、同じ停車場にいた仲間がそこを発ち、それぞれの長い長い旅路に出る。

あいつがわたしで、わたしがあいつ。

ふとした拍子に立場が変わってもなんら不思議はない。

 

皆いまどのあたりを走っているのだろう。

そう思って湧く愛着が更にビールを味わい深いものにした。

2022年8月5日夕方 阿倍野 恵美寿屋

2022年8月5日 家内からの写真 カリスマ施術のヘッドスパ