仕事で遅くなった。
こんなときは柔軟に対応するに限る。
ジムを休んで禁酒も一休み。
阿倍野にいたからそこらで飲んで帰ることにした。
まだコロナ禍が過ぎ去った訳でもないのに、どの飲み屋も活況を呈していた。
どうなのだろう。
もう普通に飲み会など催してもいいのだろうか。
そんなことを思いつつ周囲の賑わいから一歩引き、沈黙の中に引きこもってひとりビールを喉に流し込んだ。
黙ってはいるが、内にはいろいろな声が行き交ってわたしも無言という訳ではない。
飲んで感情が昂って、やがてわたしは先日の怒声と向き合うことになった。
怒声は暴力となんら変わらない。
電話の向こうから漏れ聞こえるだけも威力十分で、その声に殴打されるも同然。
思い返すだけで胸がひどく痛んだ。
よくもまあ、二人がかりで声を荒らげあそこまで言えたものである。
やはり身内だからこそという話なのだろう。
殺人事件の過半は親族間で生じ、近年その比率が増している。
他人相手であれば一定の距離があって嵩じないことでも身内だとブレーキが利かなくなる。
そういうことなのだろう。
怒声に揺さぶられ悪感情に心が占拠されつつあったが、そのとき息子から写メが送られてきた。
松山の寿司屋でゼミの女子らと楽しく過ごしている。
そんな息子の様子を眺め、気持ちがほぐれた。
身内と思うから、小さな行き違いであってもヒートアップしてしまう。
そんな物騒なことになるくらいなら身内然とするより他人行儀である方が絶対にいい。
そして後者である方がはるかに簡単。
距離を置けば済む話で、それで丸く収まるのだから、あの怒声がいいきっかけを与えてくれたと思えばいいのだろう。