阿倍野が仕事の終点となった。
すでに夜8時を過ぎ、特にこの日はよく動き回ったので疲労もあって、このときすでに空腹感もピークに達していた。
足は自ずとよい匂いのする方へと引き寄せられ、気づけばわたしはトングを右手にビールを左手にし、ほのか光を放ちはじめた炭火と対峙していた。
肉のジュワーと焼ける音とともに、疲労感はたちまちのうちに緩んでいった。
精を補給し、思考は無。
何も考える必要はなく弛緩し、いい焼き加減となった肉を口に頬張るだけ。
つまりエネルギーが漏れ出ず積み上がる一方であったから、このとき心は快の最上位にあると言ってよかった。
まもなく細部にクサクサと巣食う疲労の残滓もすべてきれいに消え去って、無思考であるから鼻から漏れ出る呼気が自ずと上機嫌なメロディを奏で、次々と肉を焼き、ゴクゴク飲んでモグモグと食べ、この無が愛おしく未練が残り、だから腹が満ちても肉とビールを追加した。
このような喜びにありつけるから、たまに仕事で遅くなるのもまた喜びということになる。
早く終わっても嬉しく、遅く終わっても嬉しい。
わたしのカラダはどこで切っても嬉し恥ずかし、ニコニコ笑顔の金太郎飴のようなものなのだった。