土曜の朝、武庫川を走ってジムで筋トレし、これにて一日の課題は完遂を見た。
あとは自由。
家内に肉を焼いてもらいそれを携え実家に向かった。
その昔、母がいた頃は月に一回、顔を出すようにしていた。
いまは二週に一度、父の顔を見に実家に寄る。
父は家内の焼いた肉を喜んだ。
わたしだって息子たちだって家内が焼いてくれる肉を喜ぶ。
父も同様なのだった。
雑談して一時間ほどでわたしは腰を上げた。
玄関で靴を履くわたしに父が言った。
もうあんまり働かんと、ゆっくりしたらええんちゃうか。
そやね、と笑って実家を後にした。
さあ、どこかで一杯やろうと天王寺方面に足を向けつつ、引退について考えた。
父は55歳で引退した。
25年前にあってはそれが普通のことだった。
いまわたしは53歳で気力体力は過去最高レベルと言っていい。
これからが本気の本番。
自身が仕事のために最適化されつつあると感じるから、ここ数年で仕事から身を引くなど考えられない。
お金の問題ではなく、身体の使い途というのだろうか。
仕事をせずのんびりして楽しいのは最初だけで、そのうち空虚に心身が蝕まれる、生真面目な性格であるからわたしの場合、そうなるのは目に見えている。
できればそんな苦痛は御免被りたい。
役割を変えつつも自分の意思で仕事を続けることができる。
だから自営業者であってほんとうに良かったと思う。
寄らば大樹といった心安さとは無縁ではあるが、まだピンピンしているのに誰か別の者の意思により、50歳を過ぎた頃から閑職に置かれたり役職を解かれたり、60歳になれば定年となって以降は異なる待遇に甘んじなければならないといったこともない。
すべては自分次第。
それは心細くもあるが、野生の喜びを伴って清々しい。
昼を済ませ、ちょっと気持ちが事務所に向いたから、寄ってみた。
デスクに座り、書類の片付けなどしているうち、日が傾いて、食欲の秋は夜開く。
ブルーノ・マーズのコンサートがあるから家内は留守。
こんな日の夕飯は焼肉であるべきだろう。
わたしはひとり鶴橋へと向かった。