家内がぽつりと言った。
この一週間、忙しそうだった。
そのとおり。
だから土曜からの連休がとても嬉しい。
さっさと寝床を飛び出し、雨が降り出す前に武庫川を走った。
心伸びやか快走できて、走ることの気持ちよさにひたった。
昼から家内は息子を連れて服などの買い物に行くという。
家内が作ったパエリアを食べ、わたしはひとりジムへと向かった。
数日、間が空いていたので泳ぎたくて仕方なく、筋肉に負荷をかけたくて仕方がなかった。
着替えやシューズをリュックに入れ傘を差して西宮北口へと向かい、たっぷり泳いで、のんびり筋トレに励んだ。
サウナに入ってジャグジーにつかり、ふと漏れる吐息には幸福が凝縮されていた。
ジムを出ようと傘置き場をみると、わたしの傘が消えていた。
施錠が面倒で、西宮で傘など盗られることはないと思っていたが甘かった。
いいことばかりは続かない。
このようにたまに悪いことがあった方が帳尻があう。
この程度で済んで運が良かった、そう思いつつパーカーのフードを被って帰途につき、小雨に打たれて街路を歩き、空の曇天と肌寒さで寂寥感を覚えた。
が、その一方、なんとわたしは数多くの良き縁に恵まれているのだろうと唐突に実感することになった。
雨の街を歩く孤独な姿を背景に、わたしの輪郭を覆う色濃い良縁がくっきり浮き彫りとなったようなものであった。
雨にずぶ濡れになっているが、良縁が良縁を呼ぶという好循環の渦中にわたしは置かれている。
そうとしか思えない。
それでまた改めて思い出したのだった。
息子らを中学受験に向かわせたのも、それが理由だった。
縁が重大事。
そう思うから、良き縁が集結する場所へと進むのがいいとその背を押したのだった。
思惑通り大阪で彼らは良き縁に恵まれ、そして、大学で大きくサイドチェンジし東京でも同様。
東西を横断し、ほんとうにありがたい良縁に彼らは恵まれ続けている。
そして、彼らは今後、縁の生成と消失の不思議について肌で感じることになるに違いない。
まるでそこに意思が介在するかのように、良縁が良縁を呼びますます大きく膨らんで濃くなって、その一方、目に見えて淡く希薄化されやがては疎遠となる縁がある。
どのような差配が存在しているのか知れないが、それが示唆するのであろう流れには抗わない方がいいように思う。
家に着くと家内が一足先に戻っていた。
友だちと会うとのことで息子の帰りは遅くなるという。
買い込んだ食材をクルマから積み下ろすのを手伝って、まだ明るいうちから夫婦での飲み会が始まった。