誰かにつまらない物言いをされることがほとんどない。
仕事で何か見咎められることが稀に生じても、嫌味が聞こえてきたり難癖をつけられたりしない。
ほぼすべての人が丁寧に接してくれ、一応は立場を尊重してくれる。
そういう意味で恵まれているが、キツめの言葉への耐性がひ弱な分、危うさと背中合わせと言えるかもしれない。
この日、業務の最終地点は西宮の六湛寺町。
行儀の悪い若造の、礼儀知らずな物言いについカッとなりそうになる場面があった。
もちろん、感情に火が燃え広がるはるか手前で鎮火が済むから危うい事態を自ら招くことなどあり得ない。
しかし胸くそ悪いのも確かなことであり、不意に受けた言葉のパンチに応酬したいとの衝動が静かな心を波立たせる。
そんなときは子らのことを考える。
子らの姿が浮かべば反応はそこまで。
心が荒れることはなく、また元の静かな湖面の調和が舞い戻る。
つまらない物言いをされた場合の対処について。
子らにどう教えるか。
そんな思考をワンステップ差し挟むだけで、典型的な誤答を回避することできる。
親は子に正しいことを教えたい。
だから実に真っ当な答えが導き出せて、その模範解答を自らなぞることになるから道を踏み誤ることがない。
そういう意味で、わたしの中にも十人並にはあるのかもしれない荒々しさは子らを持つことですっかり封印されたと言えるのだろう。
丁寧に接し続けて任務を終え、礼節備えた穏やか良き人間のままJR西宮から家路についた。
今週は外食が続く。
それを見越して、この夜の夕飯はサラダだけ。
家内は家内でわたしの別の危うさの封印にひと役もふた役も買ってくれている。