牡蠣が旬のうちにカキオコを食べに行こう。
家内がそう言うから宿を探した。
日生や赤穂周辺でたった一部屋空きがあったから、まずは急ぎそこを押さえた。
そのあとで口コミなど見てまずまずの評価のホテルであったから安心し、そして更にそのあとでかつてここに泊まったことがあったと気がついた。
当時の名は、かんぽの宿。
だから亀の井ホテルと聞いてもぴんとくるはずがなかった。
が、部屋からの眺望などをネットでみるうち、過去の記憶と符号して、もしやと思って調べると、「亀の井ホテル」は昨年リニューアルされた「かんぽの宿」なのだということが分かった。
宿へと向かいクルマを走らせ、家内と思い出話にふけった。
山ほど思い出があり、再放送でみる「噂の刑事トミーとマツ」のように、何度同じ話をしても飽きることがない。
この日の朝は赤穂を訪れた15年も前の夏の終わりにフォーカスされた。
そのとき長男は七つで二男は五つ。
わんぱく盛りで虫採りにご執心だった。
それで思う存分野山で遊ばせようと、赤穂へと足を向けたのだった。
日生の名店「もりした」でカキオコを食べ、午後3時、ホテルに着いた。
まず最初に眺望を確かめた。
やはり、ここ。
記憶どおり。
景色は相変わらず素晴らしかった。
瀬戸内の海が視界全面に広がり、視線の向こうで空と海とが一直線に接する。
その境界線上に所々、大小様々な形の陸地が顔を覗かせ、その丸みある地形がこの国の温和な風土を象っている、そんな風に思える。
昔から変わらぬその穏やかな景色を眼前に、変わらぬからこそ15年が経過してわたしたちの景色が様変わりしたとやがて痛感することになった。
夕飯を食べつつ、この夜は飲んだ。
ビールを飲み白ワインを開け、ハイボールへと移って、わたしたちは今と昔を見比べた。
当時、うちの事務所には従業員などおらず家内の手伝いを得ながら、なんとかひとりで切り盛りしていた。
息子たちはやんちゃで、下手すれば地元の「ワル」になるのではと懸念するくらいだったから、中学受験させようなど露も考えていなかった。
それがどうしたわけだろう。
いろいろ小さなきっかけが積み重なった。
しかし、振り返ればそんな小さなきっかけが結局は大きくものを言うことになった。
要は運がよかった、そんな一語に集約される話だろう。
わたしたちにできたのは、地味に地道に日々を過ごすことだけだった。
その真面目さが運を呼び寄せた。
そこに因果を求めるとすればそういった結論以外に見出だせない。
そしていつしか景色は移ろい、結局、住む場所も付き合う人の顔ぶれも様変わりすることになった。
それで気付いた。
地形が風土に影響を与えるように、景色がわたしたちの常識を形成する。
わたしは家内に言った。
「いまのわたしたちの常識は、常識的には非常識な部類に属するものかもしれない」
偶然の定点観測となったが、折々、舞い戻るのにも意味がある。
何が大事であったか。
対比しそれがくっきり明瞭に浮かび上がる。
こうしてわたしたちは学びを深め、向学心旺盛な初老の夫婦は「では次にどこへ舞い戻ろうか」と話しはじめて、やはり話が尽きないということになるのだった。