息子が写真を送ってきた。
多くの友人らと一緒に笑う息子の表情をみてしみじみ思った。
慶應の法を選んだことは彼にとって大正解だった。
わたし自身は理系に進んだ。
理系科目が得意でそれがかしこさの証だと思い込んでいた。
浅はかにもそれが理由で理系を選び、大学に入って行き詰まった。
関心を持てない世界と対峙することがどれだけ苦しいことなのか。
大学に入ってわたしは思い知った。
身が入らなかったから大学で超低空飛行となるのも詮ない事だった。
墜落しないだけマシと言えた。
いま思っても、あの選択は自らの適性を取り違えた過ちだった。
だから息子たちにはよく言ってきた。
その分野にパッションを抱きようがないのであれば理系はやめておいた方がいい。
いくら理系科目が得意であっても、それで突出することは至難の業で、その他大勢の一人になるのがオチ。
しかも理系で金持ちになれるのは医者だけと相場が決まっているし、金持ちにならずとも文系就職した方が実入がいい。
だから息子たちが文系の学問に興味を示し、そちらに行くと言ったときには親としてほっと安堵した。
そして文系へと進む息子たちに対し、父として強く伝えてきた。
ひと一人の力など知れている。
たとえ偏差値が高くても、社会に出れば、それがどうしたといった話に過ぎず、せいぜい身長や体重といった一指標みたいなものであり、それで何かが成せる訳では決してない。
特に文系となれば個の力などなんとも心もとなく、どの一員であるかで成否が大きくわかれることになる。
つまりこの先を渡っていくうえで、個人戦に赴くのではなく団体戦に参加するのだと捉えるのが、状況把握としてはより適切だろう。
だから個としの魅力を磨くのみならず仲間づくりが、とてつもなく重要ということになる。
そんな親の助言など大きなお世話といった感じで、息子たちは学業に注力するだけでなく交流を広げ、多様で多彩な縁のなか、かけがえのない仲間を多数得た。
だから、父としてそんな仲間の一人一人について息子から話を聞くのが実に楽しい。
法学部の同期に星光出身の者がいる。
星光から迷わず第一志望で慶應に進んだのであったが、その際、星光の先生は彼に言ったという。
京大にも合格する力があるのに勿体ない。
慶應で彼は大活躍した。
早慶戦では両校に名が轟くほどの存在感を示し、最終学年ではその部の主将を務め、このほど日本を代表する総合商社に入社する。
彼は慶應で個として更にいっそう磨かれて、東京での学生生活を通じ相当数の知己を得て、だから団体戦という切り口でみたとき彼の立場は揺るぎない。
もちろん、どこであれ充実の日々を過ごし注目を集める人物であったことは間違いないが、彼にとって慶應という選択は最良のものであったといって間違いないだろう。
星光出身の彼と西大和出身のうちの息子が同期として慶應で交流し、同じ業界で仕事する。
これもまた親としてなんとも嬉しいことである。