中高を通じて、息子たちは多くの友人を得た。
卒業後も交流が続き、それぞれ立ち向かう局面を変えつつ、この先もずっと彼らの友情は保たれるだろう。
そしてその網目を常に実のある思いや情報が行き交って、彼らの糧となる。
だからこの関係は宝と言って間違いない。
わざわざ中学受験をした。
それでお金を積んでも買えないものが手に入ったのであるから、費用の多寡がどうのといった話の出る幕はない。
息子たちだけではなく、母も同様。
息子らの中高時代を通じて、確かにつながる友を得た。
息子が「推し」である点で共通し、経てきたプロセスも似たようなものであるから、言わずとも分かるといった感覚が通底していて話が早い。
この桜の季節、家内は西大和のママ友らと会って食事し、その翌日は星光ママらと同様に過ごした。
ちびっ子だった息子たちがいまやそれぞれの道を歩み始め、各者各様に頑張っている。
子どもたちと同じく学校を卒業しても、互いに尊重し共感できる母らの関係は変わらない。
息子愛を起点に話は多岐に及ぶ。
今回は、それなりの年頃になってきているからだろう、娘さんの話が多く出た。
家内はそんな娘さんらに実際会ったり、会うも同然といった付き合いをしていて、今回の話を通じて、確信を強めることになった。
娘は母と瓜二つ。
本人同士が思うよりはるかにそっくり同じ。
だから、娘を見れば母が分かり、母をみれば娘が分かる。
つまり、互いが互いの真実の姿を映す鏡みたいなものと言っていい。
皆さん育ちもよく品もよく頭もよく、だから娘も同様、優秀でおっとりほのぼのまあかわいらしい。
だからもしいい人ができたら、その母親に会って複眼的により理解を深めるのがいい。
そう息子たちに助言しよう。
といった話をしていると、社会人生活の初日に臨んだ息子から連絡が入った。
配属先が知らされて、見事、第一志望の花形部署に決まったとのことだった。
それはよかったよかったとわたしは喜び、その一方、その世界の荒波が具体的に思い浮かんだのか、家内は心配だとの思いを口にした。
やはり、母。
その心配性が子らをこれまで守ってきたが、もはや、息子たちは一端の男子となった。
つまりもう幼子などではなく、むしろこっちが心配される側になりつつある。
意欲たっぷりにハードな道を息子が選んで希望がかなっているのだから喜んで応援しよう。
わたしは言うが、しかしそうは言ってもこの母親気質は変わらない。
息子たちがいつかゴツゴツのおっさんになったとしても、家内からすればいつまでたってもかわいいかわいいベイビーボーイのままに違いない。
心配させぬよう、いろいろまめに連絡してあげるように。
わたしはそう息子にメッセージを送った。