日曜だったが夫婦揃って早起きし、朝の6時には家を出た。
この日、年一回の銅座モーニングが開かれる。
朝6時半のラジオ体操とともに幕を開けるというから、ゆっくりなどしていられなかった。
法円坂で高速を降り、谷町五丁目あたりにクルマを停めた。
そこから銅座公園は目と鼻の先だった。
少し歩いて、驚いた。
早朝とは思えないほど大勢の人影が視界に入って、すでにあちこちに行列ができていた。
なんてことなのだ。
気持ちが萎えた。
日中は22℃まで気温が上がる。
そうであったにしても明け方は冷えに冷えた。
風もあって肌寒い。
とてもではないが、楽しめない。
先が思いやられた。
しかし、いったいこの明るさはなんなのだろう。
各店舗のスタッフが元気よく声を出して、その笑顔が実にいい。
このイベントを大事に思い、真摯に向き合おうとの意欲が束になって伝わってきた。
そんな温かな雰囲気に心がほぐれ、なんだかわたしは励まされるような気持ちになった。
店を構える地域への年一回のいわば恩返しみたいな催しであり、地域住民と共存しようとの前向きな思いに溢れ、それがスタッフ全員に共有されていた。
そして住民もその気持を受け早朝からここに足を運び列を成した。
つまりこれは双方向のイベントで、だからここでの心得は一緒に盛り上がる、であるべきだった。
では、並ぼう。
家内を促し、まずはラーメンを食べようと列の末尾を探した。
と、寿司の名店、三心の奥さんが優しく声をかけてくれ、わざわざ列の最後尾まで案内してくれた。
もちろんとても美しい人であり、大将同様、所作も仕草も心遣いも完璧だった。
やはり、一流と呼ばれる仕事をする者の傍らにはこういったできた女房がいるのだった。
こんな女房があれば鮨三心も安泰。
そう思えた。
あひるラーメンができるのを待つ間、デッチバルで手作りソーセージのホットドッグを食べ、家内はワインを飲んだ。
そして、予約してあったちらし寿司を三心にて受け取ったのであるが、店内に積み上がるちらし寿司の数にぶったまげた。
聞けば二千食。
この壮観の背後にあったはずの手間と労力を思って、わたしたちは感動を覚えた。
ちょうどラーメンができあがった頃合いで、わたしたちは公園にて花見をしつつ、その美味に嘆息し合った。
朝日に照らされる桜が綺麗で、ラーメンは実においしく、このイベントを成り立たせた皆の心意気を思い、心まで満たされた。
家内はワインを飲んでいたから、帰りはわたしが運転し家に戻るとまだ8時過ぎだった。
わたしは武庫川へとランニングに出かけた。
風がとても強かったから、走りつつ今日で今年の桜は見納めだと感じた。
だから昼から家内と夙川へと出かけ、さくらまつりがあったから芦屋を経て、竹園でコロッケを買って帰宅した。
この春の花見もいよいよ大詰め。
地元の公園にだって桜が咲いている。
だから、桜の見納めはここで決まりだった。
公園のベンチに家内と並んで腰掛けた。
家内がたいそう気に入っているワインで乾杯し、口にするのはコロッケと手羽先。
素手で食べるそれら食の素朴と手軽さが、花見にもってこいと感じた。
砂場で遊ぶ少年に目がいって、自然とうちの息子らの幼少時のことが思い出された。
遊ぶというより、暴れる。
ああ懐かしい。
花見をしつつ、公園の桜を写真にとって息子たちに送った。
花見の時間も共有する。
この家族四人はいつだって一緒なのだった。