花粉症の何がつらいと言って、筆頭に挙がるのは鼻での呼吸が不自由になることだろう。
年が明けたばかりの1月下旬に微か兆し、春場所の頃、症状が本格的に出始め、桜の開花に合わせて全開となって葉桜となる頃まで続き、以降は小康状態となるもGWまですっきりしない。
だから、いまが不快感のピークと言え、しょっちゅう鼻の通りが不自由になって寝付けない。
長く寝ても寝不足感が残り、鼻はやはり脳の冷却&換気の役割を果たしているのだろう、そこが詰まっているのだから、やはりどうしても頭が曇ってうすらぼんやりとしてしまう。
そんな不全感をなんとか振り払い、火曜日はウェブミーティングなどあれこれ立て込む業務に早朝から勤しんだ。
いろいろと遂行し終えた夕刻、心身ともに疲弊した。
こんなときは、一昔前なら居酒屋に直行だった。
しかし、いまは異なる。
チラとよぎった居酒屋のイメージをプールによって塗り替えた。
プールに入れば花粉症からひととき解放される。
その解放感だけでなく、温水がわたしを包み込む慰撫感、重力が軽減される浮遊感、泳ぎ終えた後の爽快感と満足感。
それらを喚起すれば、どっちがいいか明らかで、行き先はジムの一択ということになった。
そして、あくまでもわたしは自由。
ジムでの運動を終え、マッサージチェアで寝そべりつつ考えた。
この後、わたしが焼肉屋に行ってビールを飲もうと誰かに咎められる訳ではない。
しかしそんなイメージをもまた塗り替えた。
運動してせっかく体調が整った。
この静か満ちるような心地よさにまだしばらくひたっていたい。
であれば、この状態と地続きとも言える読書に移行するのが最良だろう。
外をぶらつきお酒を飲むのではなく、家に帰って本でも読もう。
そう方針が決まった。
外で食べて帰ると家内には言ってあったが取り消して、なんでもいいので用意してと頼み、それからジムをあとにした。
家に帰ると、家内は英語の勉強に勤しんでいた。
コロナ禍が明けたから留学に行くと張り切って、今夜もまたウェブでの英会話レッスンに備え予習に余念がないのだった。
わたしはノンアルで家内が用意してくれた夕飯を済ませ自室へと引き上げた。
部屋まで届く家内の発声を楽しく聴きながら、本を読み始めた。
が、疲労がまだ残っていたのか、まったく文字が頭に入ってこない。
それで方針を転換することにした。
息子への話題提供として、なにか実のある動画を見よう。
で、NHKオンデマンドのサイトで探し、直近のNHKスペシャル「ジャパン・リバイバル “安い30年”脱却への道」へと行き着いた。
この30年でずいぶんと日本はこじんまりとしてしまった。
大きな夢を描いたり大胆に豊かさを追求したりといった姿勢からはほど遠く、価格競争に晒されて、一円を切り詰める切なくも手堅い、言い換えれば小さな思考が日本人の意識の最前列にきた。
なるほど。
番組が示唆するところを踏まえて考えれば日本が置かれた現状に納得がいった。
そして30年をかけそんな精神性は次世代にも反映されたとも言えるのではないだろうか。
無難に無難に、手に職があれば御の字といったような、バットを振るより端からバントするのが得策といったような意識が日本人の小さな勝利の方程式みたいになって、小さな思考が再生産され固着していった。
それで行き着いたのは、決して望むような場所ではなく、だから出力も不十分になり更に拍車をかけて縮んだものが縮んでいった。
そんな30年だったのかと、番組をみてわたし自身も身につまされるような思いで総括できた。
結局、日本はとことん縮まって、一周回って元に戻るというのだろうか、海外を視野に大きな目線で考えないと立ち行かないという地点まで押し流されてしまったのだった。
腹を括って世界へと踏み出すしかない。
結論は明快でシンプル。
だから番組を見終えて、気持ちは元気に前へと向いた。
不思議と鼻のとおりも良くなった。
運動してお酒を飲まず鼻のとおりよく、胸には明日への希望。
安眠が訪れるのは疑いようがなかった。