日が長くなって午後6時でもまだ明るい。
タクシーを降りると、家内が店の前で待っていた。
テーブル席で差し向かいに座り、互い長かった一日をねぎらってまずはビールを注ぎ合った。
そうそうとさっき聞いたばかりの話が興味深く、家内がどう思うか聞いてみた。
この日訪れた会社の社長夫人が言っていた。
業績も順調で私生活もうまく運んで、子どもたちはみな家庭をもって幸せに暮らしている。
その反面、気づけば女友だちの数が減ってきた。
どうやら女性の人間関係は数々の節目によって分岐する。
たとえば子どもの受験や就職で明暗が分かれたときや、かたや良縁に恵まれ一方にまだそんな兆しがないといったとき、はたまた夫が五十を過ぎて家庭の経済力に明白な差が生まれたときなど。
難しい年齢に差し掛かれば差し掛かるほど分岐の数が増えていき、友だちの数が減っていく。
なるほどねえ。
家内はとてもよく分かるといった反応を示し、いろいろ想像を巡らせた。
もしうちに女の子がいてなかなか良縁に恵まれず、その一方、友だちの娘がよいところに嫁いで幸せになったら、そんな話は聞きたくないから避けてしまうといったことになるかもしれない。
子どものことになると母親というのはそれを自分の責任だと捉えてしまうから尚更。
一見、何の悩みもないように見えて、実は誰もがいろいろと抱えている。
だから、自分の悩みに直面してしまうような人間関係からはできれば距離を置きたい。
そう思うのが女心というものなのかもね。
ずいぶんと食べたが、更に皮とあらを追加して最後に雑炊を食べて店を後にした。
五月間近の気持ちいい夜風に当たりながら内環を勝山通りまで歩いてタクシーを拾った。
6月から運転手の名前表示がなくなるんですね。
家内がそう話しかけ、小林さんとの会話が始まった。
御年75歳で、年金があるから気が向いたときだけタクシーのハンドルを握る。
だからコロナ禍を凌ぐことができた。
ほんとうに多くの者が廃業していったとひとしきり業界の話が続いて、次に家庭の話になった。
二人の娘は嫁に行ったがしょっちゅう孫を連れてうちに帰ってくる。
ところが息子の方は所帯を持って以来、ぜんぜん寄り付かない。
そんな話を聞いて、ふと思った。
場合によってはこんな話でさえも友だち関係を分かつ「分岐」になるのかもしれない。
はてさて、うちならどうだろう。
聞きたくない話について酔った頭で考えた。
が、結局何も思いつかず気づけば家に着いていた。