前夜、大いに食べて飲んだ。
だからこの日はジムの後、家内が作ってくれたサラダに箸をつけるだけにしてノンアルで済ませた。
均衡を保つ。
昔はこれができなかった。
飲んで食べれば、その慣性のまま、翌日も飲んで食べるという流れに陥っていた。
飲んで食べた翌日は控える。
そのようにできるようになった自身の成長に確かなものを感じながら、いつものとおり家内と共に息子の思い出話にふけった。
不思議なことにちびっ子当時から彼ら二人はUSJなどテーマパークといったものに関心を向けなかった。
というより、そこへ行くことを嫌がった。
中学生や高校生になって友人らとの付き合いで数回くらいは足を運んだようだが、自ら好んでそこを訪れるということは一切なかった。
テーマパークに足を踏み入れたとして、そもそもそこに現れる着ぐるみに彼らは心を許すことがなかった。
中には知らない人が入っている。
愛嬌たっぷりに振る舞っているが、実際のところその内実は分からない。
人懐っこい振る舞いとは裏腹、中の人はいろいろな事情を抱えるごく普通の人であるに違いなく、その不気味さをまずは感じ取ってか、着ぐるみが近づくと兄弟揃って警戒心をあらわにした。
着ぐるみの真実について、親が教えてそうなった訳ではなかった。
つまり、彼らは子ども時分から子ども騙しを察知する感性をもともと備えていたということだろう。
だから、他の子がわーいわーいと着ぐるみになついて楽しむなか、わたしたちの袖を引っ張り早く帰ろうと彼らは促すのだった。
画面越しに見るウルトラマンや仮面ライダーには感情移入して面白がっていたから、そこは子どもであった。
が、枚方パークで仮面ライダーの「実物」が目の前に現れたときには何かが作動し、彼らは子どもからリアリストへと姿を変えた。
そして、今に至るも一貫し「着ぐるみ」のなかを透かして見るリアリスト気質は変わらない。
しかし、もし彼らが父となり子をテーマパークへと引き連れることがあれば、サービス精神旺盛な彼らのこと、役割を意識して率先して着ぐるみと戯れ遊ぶに違いない。
そのとき彼らの「中」を、彼ら同様、子は見抜くのだろう。
うちの系譜はテーマーパークとは馴染まない。
いまからそんな未来が透けて見える。