仕事先でのこと。
事業主との会話のなか淡路島の希凜というワードが登場し、わたしの視線は内へと向いて、その焦点は母へと結ばれていった。
助手席に家内、後部座席に母を乗せ淡路島へとクルマを走らせたのは四年以上も前のことになる。
母は寿司が大好きだった。
淡路島の希凜にて海を見ながら寿司を食べ、その後温泉に入るためホテルニューアワジへと向かった。
あのとき一緒に過ごせてほんとうによかった。
幾つものシーンが褪せることのない貴重な思い出として心の内に残っている。
だから、心の中のチャンネルを合わせればいつだってそこで母に会うことができる。
金曜日の業務を終え帰宅すると、家内はすでに出かけた後だった。
この夜は女子友と食事するとのことで、わたしと入れ違い家内は市内へと向かっていたのだった。
かつて家内を当てこすった人物は「あんた友だちおらんやろ」と皮肉ったとのことであったが、その人物よりはるかにちゃんとした友だちが多方面に存在していて、実のある交流がずっと続いている。
投げつけた皮肉は相手の心に生涯にわたって影を落とし、不思議なことに言った本人の身において成就する。
たとえ近い間柄であれ、やはり滅多なことは言わない方がいいだろう。
わたしは日暮れ前の武庫川を走った後、ひとり駅前の焼肉屋へと赴いた。
メニューの中にツラミがあることに気づき、ここでもまた母のことを思い出すことになった。
小学生の頃、わたしたち家族の住む家はとても小さくそこで肩寄せ食事した。
そしてその時期、肉と言えばツラミだった。
普通の肉は100グラムで千円するがツラミは五百円くらいだったのではないだろうか。
とにかく安く、だからツラミであれば肉をたっぷり食べることができた。
当時、母は仕立てや針仕事をして生計の一翼を担っていた。
家に置いてあった古めかしいミシンや母の裁縫道具などが目に浮かぶ。
ああ懐かしい。
そんな仕事のかたわら、母は育ち盛りのわたしたちに思う存分ご飯を食べさせてくれた。
ツラミを焼いて母のことを思い出し、改めて母が不在であることに思い当たった。
楽しい週末であるはずなのに、だから目には涙が浮かんでどうしようもない。
「あんた、なんで泣いてんの」
明るく元気な母の声が聞こえるような気がして、耳を澄ませた。
が、母はもういないのだった。
この不在を補うものなどなにもない。
思い出せば思い出すほどただただ寂しく、だから涙を押しとどめるなどできるはずもなかった。