水曜の午後、時間が空いたのでマッサージ屋を訪れた。
前回同様、オイルマッサージを選んでカラダを託した。
「いいカラダしてますね、何かスポーツされてたのですか」
マッサージ屋ではしばしばそのように声を掛けられる。
説明するのも面倒なので、「いやあ、まあ、ジムに通う程度です」とわたしは返した。
それでたいてい話は終わるが、続けてこうきた。
「週に何回くらい通えば、こうなるのですか」
「こうなるのですか」と聞かれるほど、たいしたカラダではない。
おべんちゃらの類にしてはこっちを乗せ過ぎだろうと思いつつ、「時間があれば通う程度で、食べて飲むのでその分運動してるだけです」と答えた。
それで更に続けて、わたしが食べて飲む内容について質問されたから、ビール好きで結構飲むが平日は飲まない日もあること、食べ物は最近は肉が好きで、しめに麺類など食べるから運動が不可欠であることを先回りしてペラペラ喋った。
「そんなに食べてもこのカラダを維持しているんですか」と施術師が言って、維持といったようなアンダーコントロール下にはないと思いつつも悪い気はしない。
で、更に施術師が「お肌もツルツルですね」などと言ってくるから、いったいどうしたことなのだ褒められ過ぎて文字通りくすぐったいような気持ちになるが気分がいい。
それで改めて思った。
褒められるとそれが見え透いたウソであったとしても、ひとは嬉しいのだった。
次第、わたしの無口を悟ってか施術師が静かになって、ようやく質問から解放された。
待望していた静寂にひたりつつ、一方で、褒められて気分よくわたしは過去の「褒められ経験」をひとり反芻しはじめていた。
あれは小学4年生のときのことだった。
朗読の際、加藤先生がふいに言った。
あなた、いい声してるね。
小学6年生のとき、塾ではいちばん下のクラスからのスタートだったが、算数の先生が感心したようにわたしに言った。
君、頭ええなあ。
そして長く時間が経過し大人になって、たまに「話が上手ですね」と言われることがあり、ときおり「いいカラダしていますね」とサウナやマッサージ屋で声を掛けられ、今回は「お肌ツルツル」とまで言ってもらえた。
わたしなどなんの取り柄もないちっぽけな人間である。
だから家では褒められることなど一切なくあらゆる局面でダメ出しされて小さく俯いて過ごしている。
ところが一歩外に出れば、わたしを取り巻くこの小さな世界に限ってではあるがまれに褒められることがあるのだった。
それらを足し合わせれば、自分を支えるのに十分だろう。
いい声をしていて、最底辺クラスであってもそこでは頭がよく、いいカラダをしていて、そしておまけにお肌もツルツルなのである。
褒められた場面を回想すると幸福感が込み上がり、施術の心地よさも相まって、ついついにやけてしまう。
人はこんな程度であっても十分に幸せを満喫し心豊かに生きてゆくことができるのだった。
残りの人生のうち、あとどれくらい褒められることがあるだろう。
お迎えが来た際には、是非ともにやけて向こうへと赴きたいものである。