気持ちは若き中学3年のときのままである。
しかし、よくよく考えればこのカラダ、人生の3分の2を過ぎかつての復元力はとうの昔に失われているのだった。
ちょっと羽目を外せばたやすく凹み、放置すればその度が増してゆく。
だから強がらず、気付いた時点で素直に人の手を借りるというのが正解になる。
火曜日はジムを休んで飲んで寝た。
しかし、水曜も引き続き頭に靄がかかったようですっきりしない。
巻き返しの水曜とするはずが、このままでは明日明後日まで締まりなく時が過ぎ去ってしまいかねない。
さて、どうするか。
水泳を日常に組み入れて以来、全身マッサージが久しく不要になっていた。
が、かつてのわたしであれば疲労を察知するや否や、何はさておきマッサージ屋に駆け込んだ。
疲労から脱出する最短経路を長年の経験からわたしは知悉していた。
にも関わらずそこに意識が向かなかったのは自身を買い被っていたからに他ならない。
運動を習慣にし体力がついたところで、マッサージが無用となった訳ではなく、やはり頼らない手はないのだった。
幸い急用はなかった。
ネットで探すとちょうど昼に鶴橋のマッサージ屋に空きがあったからすかさず予約した。
思ったとおり。
首から背、背から足へと施術者の手が形を変えながら変幻自在に這って、カラダの喫水線の下側というのだろうか、まもなくカラダの内に歓喜の声がぐるぐると湧き上がるのが分かった。
60分間もみほぐしてもらい、靄は晴れた。
気力体力がいま人生のピークだと意気がったところで、もう先の見えた年齢なのだった。
最期まで引き連れて、いつか消えてなくなるこのカラダを愛おしみ、細心の注意をもっていたわる。
つまりこれからは鞭打つのではなく慰撫するのが先決。
そう心がける人生の季節に差し掛かったのだとカラダで呑み込んだから、施術者が強くすすめるアロママッサージも夜に予約することにした。
そして仕事後、再び鶴橋駅に降り立った。
昼より更に温かで柔らかな手により全身を隈無く慰撫された。
その効果は単なるもみほぐしを上回り、ああ、生きて在ることは素晴らしいと歓喜で体中が震えるほどだった。
家内がしきりに芦屋水春のアロママッサージを勧める理由が芯から理解できた。
今後は夫婦で連れ立って慰撫を求めて過ごそうではないか。
そう決めた。
マッサージ屋を後にしたときすっかり時間も遅くなっていた。
あとはカラダを休めるだけ。
駅前で飲んで帰って、これでカラダの秩序が回復するのは約束されたも同然だった。