暑いと快走など望むべくもない。
月曜の朝、目覚めてリビングの窓を開け放った。
いつもなら、ほどよく冷えた外気が部屋へとなだれ込んでくるが、この日は違った。
風はそよとも流れず、空気が澱んだ。
やがて汗ばみ、いい感じでカラダが温まって、わたしは走りたくなった。
湿気て澱む空気のなか、わたしは武庫川へと向かった。
出だしは軽やかだった。
しかし時刻が午前八時を過ぎたとき、そこらに潜んでいた蝉が一斉に鳴き始め、それが合図に、苛烈な暑さが一気呵成に押し寄せてきた。
暑さが全身に絡みついて、足が前に出ない。
それでも負けてはなるまいとわたしは歯を食いしばった。
こういうときにはコツがある。
呼吸のリズムを積極的に単調化し、どうせ足が前に出ないのだから歩幅も小さく刻んで、これもまた単調化する。
そうすると、意識が小さくコンパクトにまとまって、しんどいといった思いを多少なり振り切ることができる。
そのようにしてなんとか走りきったのであったが、呼吸しすぎて横隔膜が筋肉痛になったのか、息が苦しいという状況に数日間見舞われることになった。
しかし、月曜日のジムをさぼったのはそれが理由ではなかった。
呼吸に不便があろうが、業務を終えいつもどおりわたしはジムへと向かおうとしていた。
ところが、途中でトラブルが舞い込んだ。
わたしは電車を降り、その場で電話してメールして復旧にかかった。
ものの5分で方は着いたが、もはやジムへ行こうなどといった気持ちは雲散霧消していた。
仕事にスライディングタックルされ、その程度のことでわたしの習慣など頓挫するレベルのものなのだった。
駅のホームで考えた。
こんなふうに中途半端になってしまった状況においては、水入りが不可欠。
わたしは気を取り直し、いっぱい飲んで帰ることにした。
そのとき何をするのが適切か。
ケースバイケースで判断するのでいいだろう。
火曜と水曜はいつもどおりジムにて運動し、ノンアルで過ごした。
木曜はジムが休みなので、走るつもりであったが、あいにく雨模様となったから、この日もノンアルで過ごし、ひとり静かに活字を追った。
泳いだり走ったり飲んだり読んだり、まあいろいろあってそれらが人生の豊かさを形作っている。