朝走って日中歩き回り、夜にはクタクタだった。
家内はジムへと向かうと言うが、金曜の夜、わたしはひとり寄り道して帰宅した。
来週、家内が遠出する。
その日程をみて、ふと気づく。
もうすぐわたしの誕生日がやってくる。
54歳になる。
なんということなのだ。
昭和であればもうすぐ定年である。
気力も体力もどう考えてもいまがベストだと思うから、丈夫に産んで育ててくれた母に感謝しなければならない。
で、思う。
そもそも誕生した日について、わたし自身には何の記憶もない。
だから思い入れも持ちようがない。
しかし、母にとっては、特別も特別、どう言えばいいのだろう、実にスペシャルな日であったことは間違いない。
つまり、この誕生日は母のものという方がしっくりくる。
いまの時期、母は大きなお腹をして中にわたしを宿していた。
そして、七夕を幾日か過ぎたある日の朝、わたしはこの世に生まれ出た。
わたしには外へ出ようと意思した覚えは全くない。
つまり、I was born というとおり、まさに受け身の出来事で、気づけばわたしはここにいた。
その日がどのようなものであったか。
母にはいろいろなことが鮮明であっただろう。
そして時折はわたしが誕生した前後の時間を懐かしく振り返ったに違いない。
やはりどう考えても、この誕生日は母のものと言うしかない。
もっと詳しくその日について母に聞いておけばよかった。
酸っぱいものがほしくて冷麺ばかり食べていた。
母から聞いたのはそんな話くらいだけだった。
昔の写真が一枚目に浮かぶ。
母が小さなわたしを抱きかかえ、わたしの頭にはちっちゃなリボンが結ばれている。
母の遊び心がそこに表れていて、同時に、母がわたしを可愛がってくれていたということがとてもよく伝わってくる。
まもなく、母がわたしを産んでくれた日がやってくる。
朝昼晩と冷麺を食べて過ごすしかないだろう。