甲子園で慶應が勝ち進み、ふだん見ることのない高校野球を家内が注視するようになった。
いまを遡ること4年前。
家族みんなで上京し、長男の入学式に参加した。
その際、応援指導部が「若き血」を熱唱し、家内は「陸の王者、慶応〜」と強く感化された。
だから画面の向こう、そんな歌声が鳴り響くと血が騒ぎ、慶応がんばれと応援することになるのだった。
アルプススタンドの応援と一体になって家内も歌うが、しかし歌うときに右腕を上げ下げする。
それを目にした二男は、「ちゃうちゃう、それやと都の西北や」と指摘するのであったが、家内は一向に気にしない。
長男が慶応で二男が早稲田であるから、家内からすれば混ざり合って何ら違和感などないのだった。
そして、観戦していると次第に感情移入し、決まって家内の目線は母親のそれとなっていく。
画面に映るのは他人であるのに、その母の気持ちが乗り移ったかのようになって、手に汗握ってプレーの行方に一喜一憂するが、これもまた無理のない話であった。
舞台のレベルは比較にならないにせよ、うちの息子たちもそれぞれスポーツに取り組んできた。
家内は息子たちがケガをせぬよう神社にお参りし手を合わせ、体力がつくよう大量に食事を作った。
そして試合があれば方々へと駆けつけ、その活躍の場に目を注いで声援を送ってきた。
もちろんいつだって手に汗握ってというのが常態だった。
そんな母としての青春の日々が画面を通してまざまざとよみがえる。
画面の向こうに映る青年が我が子に重なり、我が事のように視線が熱を帯び、あのときのプライスレスな黄金の時間がいまここに現れ出るのであるから、家内が心奪われるのも仕方のないことだろう。
慶応が今日も勝利を収め、決勝へと勝ち進んだ。
どのみち近所。
この水曜、家内は甲子園球場へと足を運ぶのではないだろうか。