仕事納めの日の深夜零時のこと。
丸の内にある別の商社の先輩方と三次会に行くとの連絡があった。
流れには逆らえない。
だから明日の朝は無理かもしれない。
長男からのメッセージを読み、わたしは眠れなくなった。
予定では朝7時に本郷を出ないと成田発の飛行機に間に合わない。
もし乗り遅れたら、との想定で次の打ち手を考えた。
彼だけ一日遅れの飛行機に変更せざるを得ない。
朝6時半、長男に電話を掛けてみた。
応答がない。
朝帰りして泥のように寝入っているに違いなかった。
しばらくして再度掛けても応答はなかった。
家内には何も言わずわたしたち家族3人は予定どおり朝7時に家を出た。
クルマを走らせ一時間ほどで関空に到着し携帯を見ると長男からメッセージが届いていた。
成田へと向かう車内、寝入っていて電話に気づかなかったとのことで、「何かあった?」と他人事のようなセリフがあってわたしはホッと胸を撫で下ろした。
これで家内がガッカリする顔を見なくて済んだ。
同時刻、空を移動し、わたしたちがひと足先に釜山へと降り立った。
この夏に家内と二人で釜山を旅して、絶品の食事に感動した。
だからこの年末、息子たちを伴って再訪することにしたのだった。
前回同様、道案内はイさんに頼んであった。
家内と二男が先にクルマに乗り込み、わたしは到着ゲートで長男が現れるのを待った。
家内は年末の料理作りで疲れ、二男は前日の試合と深夜に及んだ打ち上げで疲れていた。
わたしだけが疲れと無縁だった。
長男を待ちながら、わたしは紙に息子の名前を「様」付けで大書きした。
現れた長男を笑わせようと思って、客人を待つドライバーのように到着ゲートの自動扉の前でその紙を胸に掲げた。
わたしたちの飛行機に遅れること30分で長男を乗せた飛行機も着陸していた。
しかし時を追うごとに出国審査の列が長蛇になっていったようだった。
結局わたしは他のドライバーたち同様、一時間以上、そこで「ネームプレート」を掲げることになった。
家族四人が勢ぞろいしたのは半年ぶりのことだった。
乗り心地快適なイさんのクルマに運ばれ、まずはカニを求めて機張市場へと向かった。