神楽坂の商店街を歩き、予定通り午後7時に店に到着した。
すでに二男が座って待っていた。
やあ久しぶりと早速注文に入った。
隣の席は中々いい面構えをした青年の二人組だった。
自然と会話が耳に入ってくる。
話の端々からともに慶応法出身の若き企業人だと分かった。
親であるわたしたちがいなければ、二男は気軽な感じで隣に話しかけ挨拶くらいはしただろう。
そしてもしここに長男がいれば、同じ慶応法のよしみで会話を盛り上げ連絡先の交換くらいまでしたかもしれない。
そんな息子らの図抜けたコミュ力はもちろんうちの家内譲りで、わたしなどからっきしダメ。
もし万一、隣の青年らとの会話が始まってしまったら、楽しもうとは思いつつどうしていいか分からず、わたしは困惑してしまったに違いない。
それを二男は心得ているから自重して、会話は家族で閉じたまま、わたしは内弁慶であることに安住できた。
肉をガツガツ食べる息子から近況を聞き、引き続き頑張っていて頼もしい。
早稲田にも目線高く未来へと踏み出す連中が数多くいる。
6人だけの精鋭英語クラスがあって、そこに集うメンツの目指す世界が華々しい。
彼らに混ざって受ける刺激は並々ならぬものであるから、どこかのんびりとした星光66期たちとのみ交流しているのではないと分かって、わたしたちは心から安堵した。
でもまあ、ぼちぼちといこう。
そう締め括って食料を持たせ、駅へと向かう二男を見送った。
翌日は江戸川橋にて正午。
わたしたちが先に着き、まもなく長男がやってきた。
会話はほとんど仕事の話であったが、勤めてたった半年で見違えた。
知力をはじめあらゆる能力が環境によって研ぎ澄まされたように思え実に頼もしい。
これでまだ22歳なのであるから25歳になったとき、30歳になったとき、どんな男へと変貌しているのか先々なんと楽しみなことだろう。
そのとき隣席からは韓国語が漏れ聞こえていたが、わたしたちは韓国人旅行客がいるのだとしか思っておらず一切何も気にしていなかった。
もしその場に二男がいたら、彼は韓国語が分かるから彼の国きっての女優がそこにいるとその時点で気づくことができたに違いない。
仕事の準備があり、散髪屋にも行かねばならないというから食事を終えて店の前で長男を見送った。
年末年始など長男を交えた楽しい企画をいろいろ考えているが、どうやら彼はかなり忙しく実現は簡単ではないようだ。
カラダに気をつけて。
じゃあまた今度と息子は言って、自転車で走り去った。
その背をずっと、見えなくなるまで夫婦で凝視した。
二人の息子が東京で暮らしはじめ、おりおり東京を訪れて、それがとても楽しい。
彼らはいま20代。
彼らが30代になる頃に息子を訪ねるとなれば、行き先はニューヨークやロンドンといった遠方になるかもしれない。
そうなると、旅費はいまと比較にならない。
彼らも頑張っているが、だからわたしもまだまだ頑張らねばならないということになる。
息子たちは、どこか遠くからわたしたちの元へとやってきた。
その息子たちにいざなわれ、わたしたちは遠くあちこち旅することになるようだ。
まだ見ぬ未来に胸が踊る。
思えば子を授かって以来ずっとそうなのであるから、兄弟そろってなんて親孝行なことだろう。