業務を終え、家内がやってくるのを京都駅で待った。
改札で家内を迎えたとき、地図を手にきょろきょろしている旅行者が真横にいた。
そんなとき家内は必ず声を掛ける。
見知らぬ土地で道に不案内であっても手助けしようとするのだからそれは家内の習性といっていいだろう。
そしてその習性を息子たちは小さな頃から目の当たりにしてきた。
少なからずその影響を受けてきたからだろう。
誰か路上で困ったような人を目にしたとき、彼らが素通りすることはない。
そんな場面でもついつい知らん顔をしてしまうわたしの照れ屋な性質は、わたしを最後に根絶やしになったと言えるだろう。
改札の出口で辺りを見回すそのカップルは韓国からの旅行者だった。
これから三年坂へ行きたいのだという。
ここからだとタクシーが便利。
そう言って家内は乗り場への道を指し示し、あ、そうそうと東京の鰻屋でペ・ドゥナを見かけたことを話し、「えっ、ペ・ドゥナ?」と驚いた様子でカップルは目を見開いた。
その反応からわたしたちが想像する以上にペ・ドゥナがスターなのだということが分かった。
秋というには照りつける陽射しが強い。
いったいこれは何なのだ。
昨今の気候への違和感は増すばかりである。
しかし、日陰に入ればひんやりとしその空気感とよく合うからだろう京都の趣きがひときわ匂い立った。
日陰を選んで歩く家内のあとをついてまわり、京都の情緒に数時間ほどひたって過ごし、わたしとしては、それで十分だった。
せっかくだから買い物などして帰るという家内を残し、わたしは一足先に帰阪の途に就いた。
東京滞在などもあってジムがお留守になって5日が経過していた。
理由なく今日もさぼるという訳にはいかなかった。
ひとり電車に揺られ、そう言えばと長男の誕生日のことを思い出した。
遡ること23年前のちょうどいま頃のことだった。
朝、仕事へと出かける前、わたしと家内は近所の喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
思えば当時からわたしたちは結構な時間を二人で過ごしていたのだった。
わたしは家内にもらった分厚い生地のラルフのシャツを着ていたから、肌寒い日だったのだろう。
夜、仕事を終えて帰ってくると家に家内がおらず、ちょうどかかってきた電話によって家内が産気づいて病院にいるのだと知らされた。
そのままの格好で家を飛び出し、わたしは夜11時過ぎの電車に飛び乗った。
一駅一駅電車が停まってじれったく、ああ、あのときの急くような気持ちは今も忘れがたい。
息せき切って病院にたどり着き、それから待合室で夜通し響く家内の息張る声をじっと黙って聞きながら、今か今かとその誕生の時を待つことになった。
一夜明け、空が白んで小鳥が鳴き始める早朝、おぎゃーと生まれて飛び出たのが長男で、同時にそのときわたしの人生もようやく幕を開けたのだった。