その昔、日頃の行状にお灸を据えるため、家内はやんちゃ坊主たちをお寺さんに連れていき説法を聞かせた。
君たちがこの母を選んでやってきたのだから、お母さんの云うことをよく聞きなさい。
お師匠さんがするそんな話にはピンと来ず、出された弁当をおいしい、おいしいと破顔しパクつくバカ息子たちであったが、家内にはその言葉が沁み入った。
長男も二男もこの私を選んでやってきた。
そう思えばそうとしか思えなかった。
この人を母に選べば、ご飯をいっぱい食べさせてくれる、勉強しろなどと言われず好きなことができそれを一生懸命になって応援してくれる。
息子たちはそう当て込んで母を選んだに違いない。
そしてその目論見どおり小さい頃から好き放題、のびのびとやんちゃ坊主として過ごすことができた。
周囲には眉を顰める身内もあったが、いつかやんちゃは収束すると家内は辛抱に辛抱を重ねた。
息子たちからすればこれほど安心して過ごせる場はなかっただろう。
まさに理想の家庭であり、出来損ないのサルも同然といった有り様であったのに、これでもかというくらい存分に愛情が注がれた。
一応は躾の一環として寺には参ったが、胸に沁みる言葉といい思い出が残っただけで、彼らのやんちゃが止むのはもっと遠い先になってのことだった。
今となっては懐かしくもかけがえのない笑い話である。
というのももはや彼らにはやんちゃのやの字もない。
日々大真面目に各自の人生を頑張って過ごしているから、家内の苦労はすべて報われたと言っていいだろう。
この母を選んでやってきた。
いまなら息子たちの胸にも沁みる言葉だろう。