飲んで食べ、走って泳いで筋トレする三連休となった。
まだ成長期にある学生のような過ごし方であるが、最終日に走っているとき、その「成長期」であるとのイメージが明瞭になった。
走ると意識が変性する。
普段思い浮かべもしないようなイメージが断続的に頭の中を去来する。
リズミカルに足を繰り出し強い意欲のようなものが芽生え、そのときそこにイメージが附随した。
登場したのは怪獣だった。
火を吹く巨大な怪獣で、そのイメージを言葉として捉え直して、なるほどと納得がいった。
まるで夢を読み解くような作業であるが、走るとそういったことが脳内で生じるから不思議なものである。
突き詰めればその怪獣はわたしが目指す父親像そのものと言えた。
わたしはまだまだ強くありたいと願望し、その迫力を兼ね備えたいと、だからカラダを鍛え、旺盛に食べて飲むことになるのだろう。
息子二人を東京にやり、体力気力で言えば彼らの方がいまや強し、であるのは明らかなことである。
しかしそうではありながらも、世間を渡る総合力で言えば依然としてわたしに分があるのではないだろうか。
つまりわたしにはまだ多くの役割が残されていて、わたしはそれを意気に感じている。
もし何か事が起これば息子二人をこのわたしが助けに行く。
そんな気概が、枯れるどころかますます巨大化していくプロセスを辿っているということである。
この歳になってもカラダを鍛えて本を読み、更に大きくなるため食べて飲む。
理由あってのことであり、今回は走ることでうちに秘めた真の願望を感知することになった。
五十を過ぎ、恥ずかしげもなくわたしは言うのだった。
息子たちのため。
大きな怪獣になりたいです、と。