移動に移動を重ねる一日となった。
最終地点が新長田だったから平壌冷麺に立ち寄った。
女房に持ち帰る分を取り分けながら肉を焼き、ビールを飲んだ。
至福にひたりつつ周囲の家族連れの団らんに目をやって、まもなく年の瀬ではないかと気がついた。
この年末年始も家族で過ごす。
例年どおり元旦は父を伴い家族で母の元を訪れ、墓参りのあと一緒に昼を食べる。
それ以外の日は家族4人で旅することになるだろう。
3年前までは元旦となれば親戚中が集まった。
コロナの影響でそれがなくなり家族の形がシンプルになったと思った矢先、母が他界したからそれで正月の過ごし方が今の形へと変わった。
年末も年始も予約などすでに手配を済ませてあり、あとは長男の仕事の都合だけが気にかかるところであるが、まあ予定通り4人全員で集まることができるだろう。
思えばわたしにとってこの家族が絶対的な存在で、生きる実感が醸成される大元であり、だから生き甲斐といった言葉と同義とも言える。
4人で楽しくのんびり過ごす年末年始を思っているうち、持ち帰る肉がうず高く積もっていった。
わたしは締めの冷麺を頼み、併せて女房に持ち帰る焼肉丼の肉ダブルを注文した。
これまた家内は喜ぶことだろう。
結婚当初、わたしたちが二人家族であったとき、お金がないからそうそうおいしいものを食べることなどできなかった。
寿司を食べよう、焼肉でもいい。
寝言で漏らした若き家内の言葉がいまも忘れられない。
おいしいものを食べられないことほど世に寂しいことはない。
幸いなこと、いま四人家族となって皆でおいしいものをお腹いっぱい食べることができるようになった。
一家の大黒柱として、最低限の役目を果たせたのではないだろうか。
肉を食べ生気がみなぎり、自負心のようなものを確固と胸に宿してわたしは帰途に就いた。
車中でも思うことは同じ。
家族で旺盛に食べまくる年末年始がいまから待ち遠しい。