ときおり、祖母のことを思い出す。
老いても仕事に明け暮れる人生だった。
行商に携わっていたから、重い荷物を背負って長い距離を歩く文字通り骨折りな日々であったに違いない。
小さい頃、一緒に連れられたことがあった。
わたしは遠足みたいで楽しかったが、いまになってそのたいへんさが心底わかって頭がさがる。
もちろんしょっちゅう母のことも思い出す。
うちの母にしてもそうだった。
仕立て直しや裁縫など細かな仕事を夜遅くになってもこなしていた。
いろいろたいへんだったはずだが明るく優しい祖母であり母であった。
仕事を通じていろいろな方と毎日話をする。
皆さん一生懸命に仕事に取り組み、いろいろな理不尽にも耐え結構たいへんそうである。
ことが仕事になると誰かの幸せなど考えていられずエネルギーを強奪されて、場合によっては憔悴を余儀なくされる。
それが分かるから、特に年若い女子などみると、幸せになってもらいたいといった親心のようなものが胸に生じる。
なぜそんなたいへんなことに耐える必要があるのだろう。
幸せであっていいではないか。
だからもちろん身近なところで、うちの女房についても、そうであればそれがいちばんいいと心底思う。
いま子育てを終え、女房はいろいろな労苦から解放された。
送迎もなければ弁当も不要。
もはや掃除は外注で済み、ご飯は外食で事足りる。
あとは人生を謳歌して思う存分、楽をして幸せと思ってもらいたい。
わたしの念願が家内において成就する。
苦節二十有余年、男冥利に尽きる話と言えるだろう。