日曜に続き月曜の午後も武庫川を走った。
空気がキリリと冷えて、雲間を縫って陽射しがあたたか降り注ぐ。
走るのに最良のコンディションと言えた。
快調に走って家に戻ると家内がちょうど買い物に出かけようとしているところだった。
わたしを見るなり家内は喜んだ。
体よくわたしは荷物運搬要員として駆り出されることになった。
家内が運転し向かうは芦屋のビッグビーンズだった。
肉だけならパル・ヤマトで間に合うが、いいフルーツも仕入れるとなるとビッグビーンズ以外の選択肢はなかった。
クルマを降りて、毎度のことながら驚いた。
駐車場に巨大なベンツが威風堂々居並んで、その壮観にわたしたちはしばし見惚れた。
そしてもちろん買い物客もベンツと同様、威風堂々と店内を闊歩して、わたしたちはぽかんと口を開け次から次へとその身なりに目を奪われた。
やはり芦屋は別格だった。
各地にて富裕層を目にしてきたが、身から放たれる説得力が他と一線を画していた。
わたしたちなど出入りさえ許されない世界だと思えた。
こみつや秋王など息子に送るための果物をさっさと買って、場違いが身に沁みてきたところで、わたしたちはおずおずとその場から退散した。
家に戻って、では夕飯にしようと話し合い、寒さ増すなか鉄板焼のことが頭に浮かんだ。
あちこち店の候補が挙がったが遊び心も手伝って、どうせならとわたしたちは電車で芦屋へと引き返すことにした。
そしてダメ押しで思い知ることになった。
鉄板焼であっても芦屋は芦屋。
たまたま居合わせた客のすべてが芦屋仕様といった雰囲気だった。
つまり、どこをどう切っても、どのアングルから見ても仕込みなど一切なく芦屋の方々は突出した別次元の存在として一貫しているのだった。
芦屋の住民について語るとき、「芦屋さん」とそこに敬称が付される理由が分かったような気がした。