今回の近場探訪の地は苦楽園となった。
月曜日に席が取れたというので、日曜はお酒を抜いて過ごした。
日曜の夜、混じりっ気のない睡魔にやわらか包まれていつしか寝入り、月曜の朝、窓から吹き込む冷気に気づいて、とても気分良く目が覚めた。
飲んだり飲まなかったりするが、どちらがいいか答えはもうはっきりしていた。
それでもまあ、たまの楽しみとして、「引き続く爽快」を犠牲にし「一時的な爽快」を求めるのも人間らしいことだと言えるのだろう。
月曜の業務を早々に片付け、普段より手短にジムを済ませ待ち合わせの店へと向かった。
暑苦しかった季節は終わりを告げ、ハイソな住宅街に吹く風は涼やかでかぐわしく、そこに気品さえ感じた。
視覚化できるとすれば、その風はきわめて端正な見目形であろうと想像できた。
「楽」をほしいままとするかのような富裕な土地になぜ「苦」との文字がくるのか。
地名の由来についていろいろ想像を巡らせながら店へと向かった。
微風にそよぐ和顔の暖簾がまもなく視界に入った。
わたしは二度目の訪問だった。
シャンパンが飲み放題で5千円、寿司が1万円であるから土地柄を考えればとても良心的な値段と言えて、味もいいから申し分ない。
家内のお眼鏡にかなう数少ない店のうちの一つだった。
食べ始めてやはり家内のお決まりのフレーズが飛び出した。
今度、息子たちも連れてこよう。
どこであれ気に入った店を見つけると、家内は決まってそう言うのだった。
思えば不思議なことである。
夫婦ふたりで暮らしはじめた当初、二人の姿は影も形もなかった。
いつしか舞い降りてきて目に見える存在となって、二人が二人とも決して端正とは言えなかったが、めちゃくちゃ愛らしく、わたしたちを構成する不動の主要素となっていった。
いやはや不思議。
巣立った後もそれは変わらず、彼らはずっとわたしたち二人を繋ぐど真ん中の存在であり続けている。
「息子たちが帰省したときどこで食べるか」
家内はそんなことばかり考え、日夜、その候補地を近場で探し歩いているようなものとも言えた。
片割れであるわたしにとってもそんな小さな探索がとっても楽しい。
食事を終えて店を出るとすっかり日が暮れ、山から吹く風が威勢の良さを増していた。
ほどなくして冬が到来する。
二人の間を縫って吹く風の冷たさに、冬が楽しいとの予感で生じ、だから今後の予定が盛りだくさんなものとなっていくのは必然的なことと言えた。