気温が零度まで下がった朝、防寒対策をしっかり施し武庫川へと向かった。
前日に比べ、走ったり散歩する人の数は激減していた。
快調に走った後、ヨガへと向かう家内とともに家を出た。
この日は終日デスクワークに勤しんだ。
ちらほら年賀状じまいの便りが届く。
ハガキ代も値上がりするとのことであるし、このデジタルのご時世、そろそろ潮時、皆で一斉にやめてみるのはどうだろう。
そんなことを考えながら、業務の合間、令和六年元旦の年賀状を書き上げた。
そしてこれまた業務の合間、年末年始の動きの確認のため長男に連絡を入れた。
彼も運動なしでは過ごせない。
最優先事項がジムで、だから会話の大半がジムについての話となった。
ちなみに年末の実入りがかなりよかったとのことだったので、母に小遣いでもあげればと助言した。
ちょっとした心遣いで家内はめちゃくちゃ喜ぶに違いない。
ああ、年末。
息子たちが帰ってくる。
そんな実感を覚えながら続いて二男にも連絡をとり近況など聞いた。
先日、66期の友だちらとサッカーしたとのことだった。
そんな話を聞いてつづくづく思う。
星光生は仲がいい。
だから東京にいて東大や早稲田や慶応や一橋といった風に大学はバラけていてもかなり頻繁に66期で集まることになる。
同郷の者らは移民先において更に強く結束する。
それと同じようなことである。
おれは星光生とはつるまない。
上京するときそう言った者がいた。
しかしそう宣言した舌の根も乾かぬうち、皆の顔ぶれのなかに必ず混ざっているのだからこのメカニズムには抗いようがないのだった。
そして、夕刻。
この日は忘年会の予定があって、凍てつく寒さの夜道を歩き今里へと向かった。
思えばここも星光つながりで得られた縁であった。
てっちりはおいしく、酔っていつものとおりわたしは度を越して饒舌になって、二次会でも同様。
翌朝目覚めていつもの通り自己嫌悪に陥るのが目に見えていたがこの悪癖はいつまでたっても治らない。
終電間際の電車を乗り継いでの帰り道、そんなはずもないのにお腹が空いて、ひとり地元で黙って居酒屋のラーメンをすすった。
この悪癖も治らない。
いやあほんとに嫌になる。
ラーメンを食べ終えたタイミングで家内からメッセージが届いた。
帰宅時間を知らせていなかったから心配をかけてしまったのだった。
「いま帰る途中」と返信して居酒屋の席を立ち、月と木星が寄り添うように輝く夜空を見上げてひと気の失せた夜道を歩いた。
家には煌々と明かりが点っていた。
玄関を開けて中へと入り扉を閉めた。
その瞬間、吹き荒ぶ寒風が別世界へと遠のいた。