土曜の夕刻、西宮北口の目ぼしい居酒屋はどこも混み合っていた。
さて、どうしたものか。
路上には幾人もの客引きの姿があった。
わたしは声を掛けにくい存在なのだろう。
いい店があるなら話くらいは聞いてもいい。
そう思っていたが誰からも声は掛からなかった。
結局、一歩路地を入ったところに自力で店を見つけ、そこで安らぐことにした。
餃子がメインであるようだったので餃子を頼みビールを飲んだ。
わたしの他にはおじさん、おばさんの一人客がちらほらいて、場末の雰囲気と相俟ってみなが訳ありといったように見えた。
この日は早朝から走り、それだけでも結構なハードワークであったが、午後の時間をジムで過ごし、たっぷり泳ぎ、各パーツにじっくりと負荷をかけ丹念に筋トレをこなした。
食べても食べても幾らでも食べることができる。
そんなコンディションだったから、家内から「夜の7時に縁ぐちを予約した」とのメッセージが届いたとき、餃子の「前菜」をそこで打ち切り、わたしはさっそうと「本菜」の店へと向かった。
縁ぐちは地元きっての優良店と言えるだろう。
店は清潔で、大将の職人気質の寡黙さが感じよく、かつその優しい気遣いが行き届き、料理は細かなところまで凝っていて美しく、当然のように美味しく、そんなレベルなのにお代は良心的で、訪れる度、近所にこんないい店があったのだと夫婦で決まって感心することになる。
客層もいい。
いつ来ても、仲の良さそうな夫婦づれ、カップル、友だち同士といった、品よく幸せそうな、人相のいい方々で席が埋まっている。
わたしたちはカウンターの一角に腰掛けた。
この日の午後、美容鍼を受けてきたと家内が言って、どう?とその効果のほどを聞いてくるが分からない。
が、何か言わねばならないから、若々しさが増していると言って、やっぱり、と家内が喜んだ。
そのようにして互い上機嫌で飲んで食べ、わたしは先日33期らと会ったときの話をした。
コロナ禍のもと会わない期間が続いたが、その間もみな元気で健在だった。
その子どもたちもすくすく育って相変わらず優秀で、なかにはデビルの息子のようにずば抜けた優秀さを発揮して、そんな規格外の天才が33期の子息息女にごろごろいるから、親子含めてみればその日に囲んだ普通の中華屋の円卓がそこだけ全く普通でなかった。
もしわたしが地元の公立中学に進んでいたら、こんな分厚い優秀さの連なりにかすることさえなかっただろう。
そういう意味で、大阪星光に進んだことが大げさに言えば運命の分かれ道だった。
結果、そこでの有り様が基準となって、知らず知らず導かれ、巡り巡ってうちの息子たちの進路も拓けた、と言ってもいいのではないだろうか。
家内も納得がいったようだった。
実際、家内もそんな知らず知らずの流れに混ざって33期の男子らと交流し、また長男と二男を通じ、今も続くママ友たちとの交流を得た。
8月になれば息子たちが帰省する。
そこで長男は西大和の31期と会うだろうし、二男は星光の66期と会う。
そしてわたしは8月も引き続き33期と会う。
知らず知らずの導きが重なり合ってうねりとなり、彼らは更に浮上する。
そんな力学の存在をこれまで漠然と空想したことはあったが、家内と話しているうち、それは実在するのだとの確信が深まっていった。
わたしは西宮北口でジム活していたが、この日、家内は空いているからとの理由で大阪ステーションシティでジム活に取り組んでいた。
だから家内も「いくらでも食べられる」という状態だった。
飲みの締めに、チャーハンとカレーうどんをダブルで頼むなど、これまであり得ないことだったが、わたしたちはぺろりと平らげた。