仕事が長引いたので夕飯を済ませてから帰ることにした。
ああ、やれやれ。
そんなため息が出たところでメッセージが届いた。
箸を運ぶ手を休め画面を見ると長男からだった。
「これだけ働いてもたったこれだけ」
給料日の前夜、明細をもらって彼はその金額を知らせてきたのだった。
「これだけ」という額を見て驚いた。
一年目の小僧にしてはかなりの額である。
よっ、百万長者。
わたしはそう返信した。
この日も忙しかった。
朝から晩まで根を詰めて働いてジムには行けず、次々と仕事を片付けても不確定要素が拭い切れないからすっきりせず、不全感のようなものが身中に生じ始めていた。
しかしそれで失速すれば途方に暮れるだけとなるから、いろいろと考えて工夫して向かっていくしか道はない。
そんなとき息子とのちょっとしたやりとりがよい励ましになった。
彼だってかなりたいへんな状況に置かれている。
いきなり大きな仕事を任されて、多岐にわたる高度な知識を速習し実践していかねばならない。
普通の神経なら参ってしまうだろうが、挫けることなく一層ふてぶてしく彼は仕事に邁進している。
だから、人生の先輩であるべき父がへばっている場合ではないのだった。
さあ、元気よく前へ。
そう意気込むと、担々麺を凝視する目に力が戻り始めていた。
そしてここで生まれた気力が、不思議なことに遠く離れた息子のもとに湧き出して、気力が気力を呼んで互いの間を行き来する。
目には見えないメカニズムで、ついでにお金も一緒に巡り巡っているのかもしれない、と世の摂理が垣間見えたような気がした。
つまり潤いだって循環する。
だからまだまだわたしは頑張っていかねばならないのだった。