KORANIKATARU

子らに語る時々日記

よい情報を思い出しては息子に伝える

いろいろなことがある。

昔は無思慮にそのままを家内に伝えた。

 

が、内容によっては、いい気がしないかもしれない。

だからそんな話はわたしの中で検閲されることになる。

 

知ったところで何か得になるような話ではなく、知らぬところで不利益を被ることもない。

 

ある人と疎遠になったのはその者の持つ強烈なエゴが原因であった。

身内間でそんなエゴになんの意味があるのだろう。

案の定、小さな亀裂が積み重なって関係は瓦解した。

 

エゴの目論見通り、人間関係は周辺まで含めて切り刻まれた。

それで困ることはないが、寂しいと思う人間はいるかもしれない。

抑制の効かない無知性なエゴはやはりろくなもんではないと言えるだろう。

 

階下から英語で話す家内の声が聞こえてくる。

今日のレッスンの講師はアンゴラの青年で、家内は彼に雪降る街へ行くのだとその寒さを説明している。

 

身を切るような氷点下について家内は言葉を尽くすが、その実感をアンゴラの青年に伝えるのは簡単な話ではない。

身をもって体感しないことには分からない。

寒さもまたそういうことの一種だろう。

 

わたしは自室で読書に勤しみ、ふと昔の名著のことを思い出しアマゾンで検索した。

ピーター・センゲ著の「最強組織の法則: 新時代のチームワークとは何か」の在庫が幾冊かあったから、息子の住所を送り先にし即購入した。

 

これまで住居を転々とするうちにかなりの書籍を手放してきた。

それら書物も普段は記憶の淵に眠っているがちょっとした拍子に意識の端に浮上してくる。

何か参考になるのではと思えばその時を捉えて息子に送る。

 

彼らが小さかった頃はよくマンガを買って来た。

当時は何か情報を伝えようというより、単に喜ぶ顔が見たかっただけのことであった。

 

長じるにつれて話す内容は変わり、手渡すものが変化した。

 

よい情報を求めては取捨選択して息子に伝え、よい情報を思い出しては軒並み伝える。

そんなコミュニケーションがあってなんて豊かなことなのだろうとしみじみ思う。

2024年2月21日 質素な食事 ハイボールで夕飯