ぼんやりとするのが脳のデフォルトであるにせよ、休日だからとあまりにぼんやりしすぎると活性度が落ち週明けへとスムーズには渡れない。
活性を保ってかつほどよくぼんやりするには運動が最適だろう。
ひさびさ晴れ間の広がった日曜の午前、冷気の所々に混ざる春を感じつつ武庫川を走った。
そして引き続き、午後はジムへと赴いた。
天気がいいと誰だってカラダを動かしたくなるのだろう。
前日とは打って変わってプールが混み合っていた。
1レーンに4人が泳ぎ、一昔前ならこんな状態に忌避感を覚えたが、いまではプールの渋滞も楽しめるようになった。
4人が行ったり来たりするのであるから、ペース配分や泳ぎ始めるタイミングなどに気を配らねばならず、だからぼんやりなどしていられない。
つまりこれはこれでオンでの活性を高めるうえで絶好のトレーニングになるのだった。
タメになるのであるから、辟易している場合ではない。
わたしは他3人との間合いを図りつつ、かつ休日であるからゆったり構え心ゆくまで水泳を楽しんだ。
一方家内は、この日曜を巣ごもりの日と決め込んで家で家事などして過ごしていた。
毎日活発にあちこち動き回っているからたまに引きこもるくらいで丁度いいのではないだろうか。
そんな夫婦が夕飯時にリビングで合流し、ワインを飲んで「不適切にもほどがある」を観始めたその瞬間、現地に着いたとの報せが息子から届いた。
ホテルはスイートルームで軽く10人が泊まれるほどの広さであり豪華さだった。
ビデオ電話を通じ息子の高揚感まで伝わってきた。
楽しいと言うから、まあこれも一種の遠足みたいなものなのだろう。
そして続々、現地で出会った方々と肩を組む写真が送られてきた。
どこであれ誰とでもすぐ打ち解ける。
異国においてこそ彼は本領を発揮するのだった。
で、夫婦で気づいた。
このコミュ力の原点は、芦屋ラグビーにあったのでは、と。
様々な人が集うグラウンドで毎週毎週、盛んに繰り広げられていたのは濃密なコミュニケーションだった。
そう言えば、芦ラグチームメイトとの写真を見れば随所で彼は肩を組み、歳月が流れた後の再会の場面でも彼は肩を組んでいた。
ああ、なるほど。
つながりをデフォルト設定にしてくれたのは芦屋ラグビーだったのだ。