ひさびさ家族四人の予定が合致する。
数年に一回の惑星直列のようなもの。
家内はがぜん張り切って、予約してある焼肉屋に電話を入れ、裏メニューなどとっておきの品について直談判し、肉もいいものを仕入れておいてと念を押した。
そしてまもなく二男からステーキを所望する連絡が入ったから、家内はすぐにパルヤマトへとクルマを走らせ肉をどっさり買い込んだ。
夕飯を食べた後、ベランダで肉を大量に焼き、その母たる者のパワーや恐るべし。
息子がともに二十歳を過ぎもはや大人という域に達しているが、いまもってなおわたしたちのなかで彼らは小さい面影のままであり、だからあれこれ世話を焼き、その一方、子育ての期間は終わってしまってせいぜい後ろ盾になるくらいの役割しか残されていないと薄々は勘付いている。
で、肉を焼く家内の様子を横目に、後ろ盾という視点でその後方にも目をやって、そこに忘れてはならない者らの姿があることに今更ながら気がついた。
例えばカネちゃんやタコちゃん。
それら33期の面々は「あいつの息子なら」と何かあれば相談に乗ってくれ、時に力を貸してくれるに違いない。
つまり彼らも後ろ盾。
もし万一、息子たちが選挙に出る(まあ、有り得ないとは思うが)というなら票を投じるくらいのことはしてくれるはずである。
いまや地縁はなきに等しく、血縁といっても行き来の途絶えた関係ばかりが思い浮かぶ。
そうした意味で、独自に良好な人間関係を築くこともまた親の務めと言えるのだろう。
いろいろな役割が終わりを告げるなか、人間関係の活性化についてはまだまだ果たすべき役目がこの先も続く。
すべて子どもたちのため。
そう思って後ろの方でわいわいがやがや、今日も明日も明後日も大人は楽しく過ごそうではないか。