朝一番、駅のロータリーで職員をピックアップし新規の客先へと向かった。
小一時間ほど。
そう見込んだ商談は長きにわたり、終わったときには昼間近という時刻に至っていた。
十年の下積みを経て事業主となり艱難辛苦の果て地域のトップへと躍り出たこれまでの道行きについて、この日わたしたちはさわりの部分を耳にしただけであった。
今後訪問を重ねる毎、数々のエピソードまで含めその詳細を知ることになるのだろう。
職員を駅まで送り、わたしはその足で夙川へと向かい次の面談をこなし、続いて神戸で女房と合流した。
夕飯に備え昼は軽く済ませる程度にし、買い物に付き合ってから家へと戻ってわたしは汗ばむ陽気のなか武庫川を走った。
日の光に熱せられた空気の匂いが衣替えの合図。
もはや長袖は不要で、次からは短パンとTシャツで事足りる、汗を滴らせるに任せそう実感した。
夕刻、女房を伴い駅前からタクシーに乗った。
たけ屋と伝えただけで、運転手は心得たものだった。
口調が落ち着いて、話すだけで安心感を与えるような雰囲気の方だった。
聞けば五十で不動産屋を畳みタクシー業界に転進しかれこれ十年勤め上げ、個人タクシー開業の資格を得た。
それから数えてはや十三年。
なにやかやと指名してくれる固定客に恵まれ、年金もあるからいまは悠々自適な暮らしを送っている。
そんな話を聞くうちまもなく目的地に到着した。
鮨たけ屋を訪れるのは、三ヶ月ぶりのことだった。
女房と横並びに座って味わって、やはり鮨たけ屋は素晴らしかった。
一見飄々とした雰囲気の大将であるが、鮨を味わえばそこに凝縮された時間の堆積が自ずと想起されて時が早足で駆け巡る。
酸いも甘いも噛み分けたその歳月はとても十年では利かないだろう。
食事を終え家内に誘われるまま夙川へと足を延ばし、夜桜見物に赴いた。
ライトアップされた桜に息を呑みながら苦楽園まで歩き、しみじみ思った。
結婚してまもなく二十五年。
その丸ごとが下積みだったといって過言ではないだろう。
そしてこの先も一年一年、それが積み重なっていく。
春が訪れる度、桜が際立つ印になって初心に返ることができる。
だから毎年夫婦で花見して、見飽きることがないのだろう。