たまにはいいではないか。
以心伝心、気持ちが通じ合った。
ジャージにまで着替えていたが取りやめた。
わたしたちはジムをサボって夜桜見物へと繰り出した。
さくら夙川駅で下車しまずは苦楽園口まで歩いた。
日が残っていて夜桜となるにはまだ早い。
先に軽く夕飯を済ませよう。
そう思った瞬間、目が合ったのが韓国料理の店だった。
そこが実は人気の店で、もしあと一歩出遅れていたらわたしたちは席にありつけなかっただろう。
一口食べてその実力のほどが理解できた。
だから、わたしたちはトレーニングに備えて口にしたコロッケのことを悔いた。
食べたいメニューが山ほどもあったがお腹はすぐに満杯となった。
楽しみは次回にお預けとする他なかった。
ほどよくお酒も入って、日も暮れた。
ここでようやく真打ち登場。
川沿いの道に立ち並ぶ夜桜をうっとり眺めて夫婦で歩いた。
一本一本がライトアップされその美しさが際立った。
見慣れた公園に結構なスケールの美術品が群居し出現しているも同然だった。
昨年は京都の東寺で夜桜を楽しんだ。
その前年は二男の入学式があったから東京各所で桜を愛でた。
そのように夫婦の会話は過去へとさかのぼり、初めてここ夙川で花見をしたときにまで至った。
二十年以上も前のこと。
生まれたばかりの長男をバギーに乗せ、わたしたちは三人でここを訪れたのだった。
わたしはそのときの様子を、大昔の日記「うつむいた結婚式」に書いている。
だから、いつまでたっても当時の記憶が色褪せない。
昔を懐かしみつつ桜の花を頭上に眺め、やがてその向こうに広がる星空にも目が行った。
三日月と金星が中空に浮かんで輝いて、それを取り巻くように数々の一等星が瞬いていた。
数百光年やら数十光年やら。
そこにほの見える光は、それぞれ時間の出自を異にする。
つまり、桜も含めてこの夜空にはすべての時間が並存しているのだった。
そんな壮大な時間のパノラマを背景に、夫婦で暮らした二十数年を早回しで振り返り、儚いがしかし確かなものをそこにずしりと感じ、なんだかとても幸せな気持ちになった。