週末は大阪出張とのこと。
それで長男はこっちに帰ってきているが、どこかホテルに宿泊し金曜、土曜と仕事して、うちに顔を出すこともままならない。
土曜夜から日曜にかけちょいと寄るくらいがせいぜいで、久々だからと関西の友人らと会う間もなくまた帰京する。
示し合わせた訳ではないが、週明けには大学が始まるからと二男も急遽帰省した。
まず最初、わたしの実家に寄って挨拶は済ませ、後は66期の友だちと会い、うちで過ごす時間はほとんどなく日曜になれば彼もまた帰京する。
それでも家内にとっては嬉しい話で、息子たちがちょっと顔をみせるといっただけでも心華やぐ。
この世に先に存在していたのは家内の方であるが、息子たちが登場してからは、息子あっての家内と先後が入れ替わった。
息子というのは世界を変える。
この四半世紀にわたり、わたしはまざまざとそのインパクトを目の当たりにしてきた、そういっても過言ではないだろう。
もちろん、わたしもわたしで感慨深い。
うちがあろうがなかろうが、彼らに居場所がある。
うちで育った命の渦がいまやわたしたちの手を離れ、若き勢力を拡大させ続けながらわたしたちの知らない世界へと突き進んでいく。
つまり、彼らには彼らの人生があり、彼らは彼らの足でその道を行くのであるから頼もしいことこのうえない。
今後、その渦がいろんな幸と喜びを旺盛に呑み込んでいくのだろう。
そう思えば離れてはいてもそのダイナミズムにシンクロして親は嬉しく、敷衍すれば、非存在となったとしても同様。
なるほど、息子というのは世界を変える。
それはほんとうのことなのだった。