出張で大阪を訪れていたが、 結局家に寄ることなく長男は土曜夜に帰京した。
日曜朝一で用事があるとのことだった。
一方の二男は日曜の朝、大学の友だちと一緒に東京へと帰っていった。
これでまた夫婦ふたりとなった。
さて何をして過ごそうか。
以心伝心。
空は晴れ渡り陽気に恵まれ、まさに掃除日和と言えた。
わたしたちは手分けし、作業を開始した。
家内は玄関周りに水を撒き、わたしは一点の曇りもないよう一階から三階まで、床を雑巾で磨き上げた。
家がピカピカになるにつれ、窓を吹き抜ける春の風の清涼感が増していくように感じられた。
掃除はなんて気持ちがいいのだろう。
一緒に昼を食べ、それからわたしは武庫川を走った。
新緑がつややかに輝いて目に眩しく、そんな中、風を切って走ることは命の謳歌そのものと思えた。
で、謳歌しつつふと思ったのだった。
世界はこんなにも美しいのに、いつか死ぬ。
一体なんてことなのだ。
そんなことを思いつつ走り、そして気がついた。
いつか立ち去る。
だからこそ美しい。
そういうことなのだ。
旅先だって同じ。
そこを去らねばならないからこそ、恋するような気持ちが残る。
いつかここを去らねばならない。
そうと知っているからこそであり、そうでなければ、日常は平板なままぴくりともしないはずである。
いつか死ぬ。
だからこそ飛び出す絵本のごとく日常が屹立し、見慣れた光景がその美しさを際立たせることになる、そう考えて間違いない。
夜はノンアルを手に取った。
女房と夕飯を食べつつ、今度の旅行について話し合った。
もういい年なのであるから、予定をぎゅうぎゅうに詰めるのはよそう。
そうして余白たっぷりの行程が仕上がった。
おそらくきっと、その余白にたんと美が詰まった旅になる。