日曜の朝、朝日新聞の一面に目がとまった。
医局医師に課される長時間労働の問題が取り上げられていた。
全国医師ユニオンによる勤務医についての労働実態調査によれば、死や自殺について時々考える勤務医師が24.2%もいて、20代に限れば日常的に死や自殺を考えるとの数字が14.0%もあって目を疑った。
戦場さながらの過酷な労働環境がその数字から窺える。
周囲を思い浮かべたとき頭も体も最優等に頑丈な人材と言えば医師がその筆頭に挙がるが、そんなツワモノも時に舞台裏では青息吐息というのが実情なのかもしれない。
明けても暮れても仕事が押し寄せ、体は疲弊しそこに不安や心配事など心労も重なれば、ぐるり全方位を重い負荷で取り囲まれ、逃げ道なくじわじわと圧せられていくようなものである。
せめて一筋でも余白があって、ここではないどこかへと通じているなら話は別だが全部塞がっているならいくらタフでも苦しいに決まっている。
この日、家内は料理教室があって京都へと出かけていった。
ひとり残されわたしはぼんやり過ごし、午後、雨が降り始める前を見計らって武庫川を走った。
それでもまだ時間はたっぷりあって所在なく、仕方がないのでわたしは一杯やり始めることにした。
そうそう余白が大事。
一口ごとに日常の覆いが取り払われて、頭は空っぽになっていった。
余白に身を委ねての惚けたような無思考がたまらない。
そんな呑気に死の影は取りつく島もないだろう。