業務の最終地点が阿倍野だったから、昔なつかし久しぶり、正宗屋に立ち寄ることにした。
カウンター席の端っこで、ビールを飲んで憩って過ごし、周囲の様子を窺うでもなく窺った。
後ろに座るのは、営業での外回りを終えた上司と部下だろう。
その会話を耳にしながら考えた。
わたしは自営業者であるから、上司といった存在とは無縁。
上司の顔色をみる必要はなく、睨まれたら厄介だと神経をすり減らすこともない。
気楽なものだと思うから、ビールが進む。
そして、わたしは自身の勤め人時代を振り返り意外なことに気がついた。
若い頃、わたしは営業には向いていないと固く信じていた。
こんな日記を毎日続ける人間である。
内に閉じ、こつこつとデスクワークする方が性に合っている。
とてもではないが、営業などできやしない。
そう思っていた。
ところが、この半生を顧みれば、事実はその信念を全く反映していない。
つまり、自分は自分が思う自分とは全く異なる。
わたしの特技は営業で、これはもう身に張り付いた体質とさえ言えるかもしれない。
蛇口をひねれば水が出る。
大げさに言えばそんな感じで、わたしはまったく顧客に困らない。
これもひとえに営業ができるから。
そして結局のところ、わたしは自身の信念とは裏腹、この特技によって糊口を凌いでいる。
日記を書くといったそんなチマチマとした要素は後景の楽屋裏の話に過ぎず、前景には活力たっぷりで今日も明日も元気に動き回る饒舌な人物がいて、そのパーソナリティがこの暮らしを成り立たせている。
まさか自分がそんな人間だなんて。
自分は自分が思う自分とは全く異なる。
なんて面白いことなのだろう。
旅するように自分をも巡って、驚くべき発見に至る。
次は何が出てくるのか。
これだから、人生やめられないし正宗屋もやめられない。