まるで春。
暖かいからか、空も明るく見えた。
夕刻、環状線に揺られ天王寺に向かう途上。
ネオンの光をまとい始めた通天閣が西陽を受け、壮麗に見える。
仕事後は正宗屋。
そんな考えが頭に浮かび、頬が緩んだ。
ちっぽけな人生ではあるがたまには喜びに恵まれる。
そんな些細な喜びが愛おしくそれら断片を日記に残すが、しかしこれは他人から見れば唾棄すべきようなものでもあるのだろう。
世はますます世知辛く、他人の不幸は喉から手が出るほど欲しい蜜の味となって、その反面、喜びはときに凶器となりかねない。
ありふれた喜びを無防備に喜んで、それが誰かを傷つけ痛めつけることにつながってしまう。
そんな理解を欠いて渡れる世ではなくなった。
しかし、誰かを殴って悦に入る人種がいるものまた確かなことである。
だから、ほら見ろこれ見ろと言ったように、喜びを大げさにアピールする悪趣味に歯止めが効かないということも起こり得る。
まもなく令和となって最初の春。
誰であれ、喜びを捨て去ることなどできやしない。
喜び方の作法について、わたしたちは学んでいかねばならない時代に入ったということなのだろう。