移動の車中、訪問先のHPに目を通した。
思った以上に相手がでかい。
で、臆するような気持ちが生じた。
相手がどうあれ、緊張することはあってもこれまで臆するといったことはなかった。
だからわたしにとっては珍しい現象だった。
営業に訪れこれまでけんもほろろに扱われた経験は一度もない。
ほぼ間違いなく良好な関係が構築できて話が前へと進む。
しかし、数を重ねると成約に結びつかないケースもなくはない。
先日、その「なくはない」が生じたのかもしれなかった。
商談はうまく運んだはずであった。
しかし、そろそろ返事があってもいい頃なのに音沙汰がない。
もしかして駄目だったのか。
そんな考えが頭をよぎる。
いったいなぜ?
そう考え始めても答えには至らない。
詮索しても始まらないのに詮索すると、あれが駄目だったのかこれが駄目だったのかとネガティブな思考が拡大し始める。
そんな心理がベースにあった。
だから、同じ目には合いたくないと、未知の場面を前に弱気が兆してしまったのだった。
わたしは市井の営業マンのことを考えてみた。
うまくいかない、というのが定番に違いない。
それでも向かっていく気概は一体どこから湧いて出るのだろう。
電車が目的地へと近づいていく。
わたしは自分の現在地点を見つめ直してみた。
積み上げてきたものがある。
もし万一、敗北を喫したとしても、その場で面目を失うだけであり、ただそれだけ。
何か取り返しのつかないことになる訳でも、それで窮地に立たされる訳でもない。
多くの顧客の顔が思い浮かんだ。
結構すごい顔ぶれである。
援軍を得たようなものであり、自信が蘇った。
後はいつものとおり。
元気よく挨拶し、話をじっくり聞いて適確に受け答えし、首尾よく話がまとまった。
「十年早くあなたに会いたかった」
先様にはそう言ってもらえたが、十年前、この規模の仕事をこなすパワーはうちにはなかった。
しかるべき時期が到来し、見合ったお客が現れる。
縁の綾とは不思議なものである。
そして帰途。
重しが取れて、わたしは100を求める自身の幼稚を戒めるような気持ちになった。
なんであれ80対20がせいぜいで、100対0など異常事態であってそれを求めるなど不遜に過ぎる。
全部取りは全部負けと背中合わせ。
そう思えば危なっかしいことこの上ない。
100を求めるのではなく、20の負けを織り込んで80を目指す。
そうであってこそ地に足がついて、空いた余白に気概が生まれる。
100か0かで行くより長い目でみればその方がはるかにゲインは大きく、そして何より、臆するといったしんどい心模様とも無縁でいられるだろう。